週刊現代
天皇暗殺の震撼!
激怒した山県有朋はなぜ森鴎外をブレーンに起用したのか

左から山県有朋、松方正義、寺内正毅〔PHOTO〕gettyimages

プライドと孤独のはざまで震えていた

司馬遼太郎さんはよっぽど山県有朋が嫌いだったらしい。

『翔ぶが如く』で〈僧院の陰謀家のように陰鬱で無口で、異常に権力と金銭の好きな、そして国権の徹底的確立だけが護国の道であると信じ切っていた国家的規模の大迷信家〉と、あらん限りの悪口を投げつけている。

山県嫌いは司馬さんだけではない。半藤一利さんも〈山県のすごさは、天皇をすら利用価値が最大の神聖な道具としたことである。それが有用な道具であればあるほど、政治手段として、天皇をより神聖化した。こんな人物は明治以後の日本にはいない〉と評している。

では、同時代人は山県をどう見ていたろう。岡義武著『山県有朋―明治日本の象徴―』(岩波新書)は宮内省の仕人・小川金男のこんな回想を伝えている。

〈元帥はいつも通常軍服を着ていた。外套を着ている時には、必ずその特別に広い外套の襟を立て、まるで顔をかくすように帽子を眼深かにかぶり、両手はぶざまに外套のポケットにつっこんだまゝ長い軍刀をひきずるようにして歩く人であった〉

うつむきながら仄暗い宮中の廊下をひとり歩く姿にはどこか孤独の感があった。ある日、小川が表御座所に立っていると、山県が拝謁を終えて出てきた。

そこへ北白川宮が大尉か少佐の軍服を着て拝謁にやってきた。山県を見かけると、すぐ廊下の隅によけ直立敬礼した。が、山県はうつむいたまま宮の方に顔を向けると、ジロリと鋭く一瞥しただけでそのまま通り過ぎた。小川は言う。

〈こんなことは実際珍らしいことであった。なぜなら北白川宮は明治天皇の娘婿であって、いかに軍律であるとはいえ、宮中においては殿下を殊さら上にたてなくとも相応に遇するのが普通と思われていたからである〉

冷厳酷薄な権力者といったところだろうか。が、と言って、彼を単なる権力亡者と切り捨てるのは早計にすぎるだろう。

実は、山県ほど新しい知識や思想を理解しようとつとめた男はいない。岡によれば、山県は毎朝、新聞を手にとると、真っ先に外電を読み、中に少しでもわからぬ点があると、秘書官や副官に調べさせた。秘書官や副官たちの間では、この仕事をやると、外遊3年に匹敵するとまで言われていたという。

山県は社会情勢にも細心の注意を払った。これは最晩年のことだが、米騒動(大正7年の米価急騰による暴動)に衝撃を受け、物価とくに米価を極度に気にした。当時の首相・原敬に繰り返し懸念を伝え、自分が勧告した外米輸入策を原が採用しないと不満を漏らしたりした。

実業家や学者らを通じて経済情勢を研究し「其の熱心は実に驚く計りで、明けても暮れても物価高低の事計り、遂に其の為めに神経衰弱を起された位であつた」(秘書官の回想)という。

このうろたえは何か。司馬さんは山県のような国権主義者は〈草木が風にゆれるのを見ても国家滅亡の前兆を予感し(中略)森羅万象のことごとく「国家の前途に害をもたらすのではないか」という不思議な衝動を感ずるようになる〉と語っている。たしかにその通りだろう。

山県が営々と作りあげてきた国家は、天皇が現人神であるという神話に支えられていた。彼はその神話を〈神聖な道具〉として利用した。欧米から流入する思想が、天皇神話を揺るがせるようなことになれば国家は瓦解する。そんな恐怖からも逃れられなかったらしい。

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら