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小保方晴子の反論「ハシゴを外した人たちへ」

ここまで率直に書いて大丈夫か!?
週刊現代 プロフィール

小保方晴子氏(32歳)が1年10ヵ月の沈黙を破って、手記『あの日』を発表し、大きな話題を呼んでいる。

'14年1月にSTAP細胞の「発見」が大々的に報じられてから、小保方氏を取り巻く報道は過熱し、彼女は自らの言い分を正確に伝える手段を失い、孤立していた。手記から、彼女の心情を引用していく。(※丸カッコ内は編集部註)

2014年3月には、NHKの記者から私の携帯電話に電話やメッセージが直接来るようになった。生活のすべてを包囲されているような恐怖で、「もう生きていくことができない」と考える時間が長くなった。

新聞社、テレビ局、週刊誌など、ありとあらゆるメディアから取材依頼が来た。週刊誌の最初の取材依頼メールは「週刊文春」からのもので、「知人に若山(照彦)先生への暴言を吐いたというのは本当ですか?」という内容だった。その週刊誌には乱倫研究室などと見出しをつけられ、私と笹井先生が個人的に親密であるかのような記事が書かれていた。

マンションの共通玄関はオートロックだったが、部屋の前まで侵入してきてインターホンを押す記者も少なくなかった。第一次調査委員会の調査結果を聞いた2014年3月31日、ショックと疲労でおぼつかない足取りでの帰り道、マンションの前でフラッシュを浴びた。無理やり渡された名刺には「週刊新潮」と書かれていた。

笹井先生との別れ

私を糾弾する研究者やサイエンスライターからのコメントはSNSなどを通じて矢継ぎ早に出された。批判的な見方が世論から多数の同意を得られるようになると、SNS等で拡散される糾弾コメントがさらに過激さを増す。すべてのメディアが私へのバッシング報道で埋め尽くされていった。

バッシング報道が高まるにつれて、「インターネット上に不穏な書き込みが多くなっているので、気をつけてください」と警察から連絡が入るようになった。千葉の自宅周辺と神戸のマンション周辺は巡回などの警備を強化すると連絡を受けるまでになった。

理化学研究所(理研)は調査委員会の結論として、STAP細胞論文に「ねつ造と改ざん」があったと結論付けた。この結論に対する不服申し立てに関する記者会見('14年4月9日)で、小保方氏は自らの思いを説明したが、バッシングの嵐がやむことはなかった。

論文は撤回に追い込まれ、小保方氏も参加する形で検証実験が始まった。そのさなか、笹井氏が自殺した。享年52。神戸市の先端医療センターの関連施設内で首を吊るという壮絶な死に様だった。

笹井先生がお隠れになった。8月5日の朝だった。金星が消えた。私は業火に焼かれ続ける無機物になった。