現代新書
日本人が知っておきたいデヴィッド・ボウイのすべて〜歌舞伎との深い関係から少女マンガへの影響まで
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デヴィッド・ボウイはいかにして「芸術的モンスター」「ロックの法王」になったのか。『日本のロック名盤ベスト100』の著者が贈る「日本人にとってのボウイ」論!

文/川﨑大助(作家)

いかなるスターの死とも似ても似つかない

まさに世界中に衝撃が走った。日本時間2016年1月10日に報じられた、英国出身のロック音楽家、デヴィッド・ボウイの死去のニュースが、「かつてない」深度と速度で、多くの人々の心を震撼させたことは記憶に新しい。

我々人類は、高名なロック(ポップ)スターの死にこれまで幾度も立ち会っている。近年であればマイケル・ジャクソン(09年)の急逝があった。1977年のエルヴィス・プレスリー、80年のジョン・レノン、それぞれの死を、僕はそのときにいた場所であるロンドンと東京で、報道を通じて知った。

だから自信を持って言い切れるのだが、「デヴィッド・ボウイの死」は、これまでのいかなるスターの死とも似ても似つかないものがある。意味するところが違う。

ボウイの死を悲歎する人々の姿とは、たとえばそれは、ローマ法王逝去の報に接したカトリック信徒たちのように僕の目に映じた。まさに「ロックの法王」こそがデヴィッド・ボウイだった。そしていまのところ、彼の座を継承する者はいない。

我々がイメージする「ロックスター」という像の、どう少なく見積もっても60%強はボウイがたったひとりで開発したものだ。かえすがえす、この喪失は、とてつもなく大きい。

世界中の各界著名人はもとより、現と元のふたりの英首相、ドイツ外務省などが公式コメントを出す、という破格のあつかいは、芸術家としてのボウイへの最上級の敬意のあらわれだ。

そんなボウイは親日家だった。日本の文化から大きな影響を受けてあの芸術世界を構想したことでも有名だ。また逆に、ボウイの芸術から「大きな影響」を受けた人も日本には多い。だから日本と彼とのあいだには、特別な紐帯がある、と言うこともできるのだが、このことについて、どうやら日本の音楽評論家は語る言葉をなにひとつ持ってはいないようだ。

ゆえに本稿では、ここに焦点をあてることで、不世出の、いかなる観点からも桁違いの「芸術的モンスター」だったデヴィッド・ボウイの、表現者としての核心に迫ることを試みてみたい。