二人の作家がたどり着いた「幸せとはなにか」の答え【対談・よしもとばなな×ジョンキム】

日本が無くした幸せの風景

韓国・大邱生まれ。「ノマドワーカー」の代表として知られる作家のジョン・キム氏と、女流作家のよしもとばなな氏。Facebookを通じて交流がはじまった二人が、「幸せ」をテーマに対談した『ジョンとばばなの幸せって何ですか』(光文社)が発売された。世界を見てきたふたりが経験をもとにたどり着いた「幸せになるため」の秘訣が語られている。本書の中から、その一部を特別公開する。

ジョン この街は、本当にいいところですね。実はさっき近くの定食屋さんでお昼ご飯を食べたのですが、そこの店員さんがこんなふうに敬語を使わないんです。

「ご飯のおかわり大丈夫?」

それはつまり、お客さんとの距離が近いということなんですよね。どこか、昔ながらのぬくもりを感じました。

ばなな 本当にいいところですよね。あそこは昔、すごく古いオモチャ屋さんだったんです。でも店長さんがバッタリ倒れて死んじゃって。それで定食屋さんになったという切ない街のドラマがありまして……。今はその仲のよいご家族……だと思うのですが、明るい人たちがあの場所のあとを継いでくれていますね。

ジョン 今ではあまり見られない地域のコミュニティがありますよね。たとえばそこにいた男性は、食事の後に「財布忘れた!」と言ってそのまま店を出ていったんですよ。お店の人も「大丈夫?」なんて言って、まったくびっくりしない。

そこには「絶対に戻ってくる」という信頼があるんですよ。相手への感受性が豊かで、計算を急がない。街全体が資本主義を超えた還元と循環の空間のようで、ある意味“みんなで分け合っている”という感覚が強いのでしょう。そして実際、その男性は戻ってきました。もし、都会のコンビニでそんなことをしたら捕まりますよ。

ばなな たしかに、絶対、単に捕まります(笑)。

ジョン 昔は、そんな風景がたくさんあったと思うんです。もっと近所の人との関係が近くて、ときには「うるさいな」と思ったりもするけど、気がつけば一緒にご飯を食べている。そんな風景がだんだんとなくなってきた気がします。

人って、いつも失ったときに初めてその大切さに気づくんですよね。たとえば30年前の日本を振り返って「あのころはよかった」と言っても、それはもう取り戻すことができない。喪失するまで幸せに気づかず、気づいたときにはもう手遅れになっているんです。

それは、命も同じです。人って、健康なときには健康であることのありがたみを感じない。それが余命いくばくになって初めて、花を見たり太陽の光を浴びることがいかに幸せなことなのかに気づくことになる。

でも、もし失う前にそのことに気づくことができれば、日常のあらゆることから幸せを見いだすことができるようになると思うんです。つまり幸せは自ら創造するものであって、人から与えられるものではないような気がします。