大阿闍梨を待ち受けたさらなる試練「断食、断水、不眠、不臥を9日間続ける『四無行』は、一歩間違えば確実に死です」

島地勝彦×塩沼亮潤 【第4回】
島地 勝彦 プロフィール

その日の行日誌にわたしはこう記したことを憶えています。

「九百九十九日目 いまのこころがいままででいちばんいいなあ。
このこころが変わらないといいなあ。体がいうことをきくなら、ずっと歩いていたい。もしこの体に限界がないなら、いまのこころのままに永遠に行が続いてほしい。人生生涯小僧でありたい」

シマジ まさにそれが解脱していく無我の境地なんでしょうね。

塩沼 千日目、いつもと同じように目が覚めました。平成11年9月2日、山に登って無事に帰ってくれば「大行満大阿闍梨」という称号がいただけます。しかし自分は紙切れ1枚の大阿闍梨という称号をいただくよりも、いまのこころのまま、最後のひと息まで「人生生涯小僧のこころ」であるほうがもっと素晴らしいことだと思いました。

最後の日の深夜12時、いつものようにおにぎり2個を持ってお山を歩き、いつものように帰ってまいりました。

シマジ 「いつものように」っていう何気ない言葉も、大阿闍梨の塩沼さんがいうと迫力がありますね。

塩沼 そしてついに千日回峰行は満行を迎えました。終わった瞬間は、自分がやり遂げたんだという達成感も高揚感もいっさいなかったように記憶しております。ひとつの行がこれで終わりになるんだという、ただそれだけのことでした。

しかし、仏さまはわたしのこころの成長のために、さらに険しい人生の行をお与えくださったのです。

シマジ ははあ、わかりました。「四無行」の過酷な9日間のお話ですね。

塩沼 はい、その通りです。実際、千日回峰行が満行になった瞬間、わたしの頭のなかの目標は、1年後の9月28日から10月6日かけて行う四無行に切り替わっていました。四無行とは、9日の間、「断食、断水、不眠、不臥」つまり「食べず、飲まず、眠らず、横にならず」を続ける非常に過酷な行です。

立木 どうしてシマジは四無行のことを知っていたんだ?

シマジ 天台宗の酒井雄哉さんのDVDを観たからですよ。

立木 なんだ、そうだったのか。やけに詳しいからびっくりしたじゃないか。