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「バレンタイン」の習慣を生み出した老舗洋菓子ブランド、その"進化"の哲学とは
モロゾフ・山口信二社長に聞く

1931年に神戸で創業したモロゾフ。当時、日本国内ではカカオやチーズなど洋菓子の原料が流通しておらず、港町・神戸はそれらが手に入る数少ない街だった。ここにて、ロシア革命で日本へ亡命してきた菓子職人、ドミトリー・モロゾフ氏と同社創業者が出会い、日本を代表する洋菓子ブランドが生まれたーーそれがモロゾフ創業の経緯。現在、社長を務めるのは「元・ブラブラ社員でした」と言う山口信二氏(56歳)だ。

とにかくおいしいモノが好き!

山口信二(やまぐち・しんじ)'59年兵庫県生まれ。'81年に甲南大学経済学部を卒業し、モロゾフへ入社。'05年に営業本部福岡支店長になり、'08年にマーケティングセンター長、'09年に取締役マーケティングセンター長兼商品企画グループ長などを歴任。'11年に社長へ就任し、以来現職

【矜持】

弊社は1936年2月、日本で発行されていた英字新聞に「バレンタインにはモロゾフのファンシーチョコレートを」という広告を掲載しました。これが、今も日本で続く習慣の原点になっています。商品の告知をするにとどまらず、大切な方に洋菓子をお送りするライフスタイルの提案から始めたのです。

まだ目新しかった洋菓子を日本社会に受け入れてもらうため、これだけ地道な努力をしたところに、弊社の先人たちの矜持があるのかなと思います。

ちなみに、聖バレンチノは3世紀に実在したイタリアの殉教者です。当時のローマ帝国皇帝クラウディウス2世は「兵士が結婚すると戦争に行きたがらなくなる」と考え、ローマでは兵士の結婚を禁止したと伝えられています。

しかしバレンチノ司教は、深く愛し合う若い恋人たちを結び付けたことで、皇帝の怒りを買って殺されてしまいます。その殉教の日が2月14日。それ以来、彼は愛の守護神とされています。

【母の教え】

私の父は神戸で自動車の修理・販売業を営んでいましたが、私をもうけると30歳で早世してしまいました。その後は母が商売を続け、私を育ててくれました。

昭和40年代、まだ女性の社会進出が一般的でない中、育児に仕事にと、いつも忙しそうだった母の一番の楽しみは、美味しいものを食べること。よく「人間、元気なうちでないとおいしいものも食べられへん!」と家族を様々な店に連れて行ってくれました。私も地元の魚や洋菓子などを食べるうち、次第に舌が鍛えられました。

そして私が大学卒業を控え、就職を考えた時、地元に伸び盛りの洋菓子の会社・・・すなわち弊社を見つけたのです。「とにかくおいしいモノが好き!」、これこそが、私が弊社に就職した単純明快な理由です(笑)。

お茶 茶を点てる山口氏(写真左)。堺の寺で千利休愛用の茶碗を使った時は「落としたらと心配で味がわからなかった」

【本物】

入社後、長く商品企画を担当しました。会議の時は2~3時間ずっと試作のお菓子を食べ続けます。シュークリームの味に納得がいかず、約1ヵ月間、何度もやり直しては食べ続けたこともありました。私は売れる商品と、そうでない商品の見極めを、この過程で行います。

このシュークリームのように、開発中に紆余曲折があっても、ワクワクドキドキする気持ちが続いたら、その商品は「本物」。そうでなければ途中でやめてしまったほうがいい。