大阿闍梨がみた地獄「修行をはじめた頃、亡霊と餓鬼ばかりが現れました。あれは夢だったのか、幻覚か。それとも…」
島地勝彦×塩沼亮潤 【第2回】

撮影:立木義浩

第1回【爪はボロボロ、血尿は出る。千日回峰行の苦しみとは

シマジ 今回、お目にかかる前に塩沼大阿闍梨さまのご本はすべて読ましていただきました。いろいろと感動しました。

塩沼 ありがとうございます。どこがいちばん感動されましたか?

シマジ いちばん印象に残っているところは、千日回峰の修行中に寒さや苦しさで涙が出てくるところです。その涙が蒸発して天に昇り、雲になって雨となり、結果、みんなの飲み水になったり、田畑を潤す水になったりするんだという、大阿闍梨さまのスケールの大きな連想飛躍ですね。

塩沼 昨日まで流した涙が雨となり、悟れや悟れと励ましの雨音になる。わたしの流した涙が頬を伝わって地面に落ち、川を流れ海に行き、やがて蒸発して雲になり、ここに降って雨音を立てながら「頑張れ!」と自分を励ましてくれている。そういう気持ちになれたんです。

いま思い出しても涙がにじんできますけど、最悪な状態にあっても不平不満がなくなっている自分を発見しました。

シマジ そういう山中の嵐のなかでも、いつも前向きに希望を持つということは凄いことですし、難行を全うするためには必要な心構えなんでしょうね。

塩沼 たしかに、どんな状態でも、いつも希望は持っていました。テレビを観て千日回峰行をやりたいと思ったのは小学5年生でしたが、出家した19のときにはもう、千日回峰行が終わってからの夢があったんですよ。その夢を追いかけていたので、わたしにとって千日回峰行は「やって当たり前」という感覚でした。

ですから失敗したらどうしようなんて悲観的な考えは微塵もなかったんです。その先の夢があったからこそ、あんな難行を乗り越えられたのかなあと、今では思います。

シマジ 比叡山の酒井大阿闍梨は戦後、闇ブローカーをやったり、奥さまが自殺されたりした後、40歳で出家して、そこから千日回峰行をなさっていますが、塩沼大阿闍梨の場合は高校を卒業した翌年、ストレートで吉野山に行かれたんですよね。

塩沼 はい。わたしの場合は人生の辛酸を舐めることもなく、10代で吉野山の金峯山寺に入りました。はじめはわたしも酒井さんがおやりになった千日回峰行しか知りませんでしたから、比叡山にいくしかないと思っていました。ところがたまたま知り合いを通じて「千日回峰行は比叡山ともう一つやっているところあるよ」教えてもらったんですね。それが奈良の吉野山でした。

詳しく調べてみましたら、吉野の千日回峰行のほうが比叡山より過酷なんですね。それがわかったので、どうせやるならより厳しいほうに行こうと決心したわけです。あとあと後悔しないためにも。