「戦争、貧困がなければ、僕は物書きにはならなかった」
〜作家・開高健「幻の講演」を公開(後編)

「成人の日」特別企画
開高健氏、78年11月母校・天王寺高校での講演風景(写真提供:天王寺高校同窓会事務局)

1978年11月27日、大阪天王寺高校。大の講演嫌いの開高健が、二十数年ぶりに引き受けた講演で、母校の生徒たちへ伝えたかったこととは……。笑いと涙に満ちた1時間半の講演を完全再現。

後編では極貧・腹ペコの敗戦直後、いかなる青春時代を送り、作家となったのかが明かされる。

前編はこちら
 

何もかも嫌になってしまった

こんな話、してるときりがないんですけれども、ゆっくりやってくださいと言われたんで、ま、雨上がりの午後だし、またいつ来れるか分かりませんので、もうちょっとしゃべります。おしっこに行きたい人はどうぞ行ってください。遠慮なしに。こらえてるとさっきみたいなことになりますから(爆笑)。

まー、あっちこっちの焼け跡で大阪が真っ赤な原野と化し果てまして、阿倍野橋の橋の上に立って振り返るとずっと向こうに地平線が見えて、この赤い夕日が沈んでく満州のような風景になってしまって--大都市のど真ん中にいて、完全円の夕日が見えるという時代があったんですね。

雨が降ると、吉野の山奥に降るような冷たい、いやらしいまっすぐに降ってくる雨が降ってくる。どこへ行っても闇市で、かがり火を焚きまして、焚き火にあたるのに10円でしたかな、1円でしたか、取られるんです。

大阪駅へ行くと、これがまた列車で超満員。客席に坐って旅行するなんてなこと、当時は考えたことないんで。有蓋貨車に乗っていくか無蓋貨車に乗っていくか、汽車というのは窓から入り込むもんだと、こういうことをやっていたんです。

こういう学校に来て昔馴染みのものをいろいろ見ていると記憶力がにわかに目覚めまして、2冊か3冊ぐらいか本がいっぺんに書けそうな気がしてきましたけれども。

学校の方はどうかというと、これもずいぶんあなたがたお父さんやお母さんに聞かされているだろうと思うんですけれど、つい昨日までの教科書に墨を塗れと。

GHQというものがやってきまして--GHQというのはアメリカの占領軍の総司令部のことなんですけども、これの教育委員会が軍国教育を抹殺しようというんで、昨日までの教科書、国語であれなんであれ。その中に軍国主義を唆(そそのか)すような鼓舞激励するような、そうと思われるようなところは墨で塗るんです。

墨を塗るったっておかしな話だと思うんですよ、考えてみると。家でなんでここがいかんのか、って理由を聞いてきてから消すんですからね。理由聞いたら消すことないじゃないかって言いたいですけど。そこ消してしまうんですね。それで教室へ持っていく。

ところが何しろ食べるものが戦争中からないんで、これはホントに私は辛くて、その後何年となくついこの間までそうでしたけども、明日食べるものがないというので全身に冷や汗が出て目が覚めるというのをよく味わったんです。

明治以後日本人はある年齢から数年間試験に失敗するという悪夢を見る、という文化的伝統ができたですけども、私は悪いですけれどもあまり試験に失敗するという夢は見たことがない。自慢して言うんではないんですが、私の頭は試験向きにできているのか、パスはどこでもパスするんです。ただパスしてから以後私は、駄目になっちゃった。

この学校に入ったとき、私、ちょっと秀才だったんです。自分で言うのもおかしいですけれども。藤井先生が実証してくださると思うんですが、興味のある方はいっぺん聞きにいってください。

だけども敗戦のドンガラくらって、それで家は貧乏もとことん落ち込んでしまって、父がいないし。見るもの聞くもの嫌なことばかりだし、何もかも嫌になってしまって、勉強なんかするもんかと、秀才稼業を放擲(ほうてき)してしまったんです。勉強なんかしたってなんになるかっていう気持ちもある。学校へ行くと栄養失調の先生がおられて、生徒も栄養失調ですが、教える先生も栄養失調で教えている最中に教壇で倒れたりなさる(笑)。