賢者の知恵
2016年01月12日(火) 週刊現代

ユーミンにも売れない時代があったんだ【特別対談「荒井由実」を語ろう】

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15歳とは思えない才能

ユーミンがまだ荒井由実と名乗っていたあの頃の思い出を、プロデューサー、ディレクター、名付け親が語り明かす(週刊現代の人気企画「熱闘スタジアム」を一冊にまとめた『週刊現代Special』より特別公開)。

【シー・ユ―・チェン】国民的な愛称となった「ユーミン」の名付け親【有賀恒夫】音楽プロデューサー。デビューアルバム『ひこうき雲』の制作に携わる【村井邦彦】作曲家、音楽プロデューサー。荒井由実やYMOを手掛ける

チェン ユーミンの『ひこうき雲』は、若くして亡くなった彼女の友人を悼み、その命をひこうき雲になぞらえて歌った曲です。歌詞では人の死をとりあげながらも、重々しくないメロディーとアレンジが印象的です。当時の彼女は純粋に、真剣に自分の人生や将来を見つめていた。だからこそ命をテーマにしたあの曲を書いたんじゃないでしょうか。

僕はこの曲を聞くたびに、ピュアだった若者のころを思い出すんです。『ひこうき雲』は、僕らを40年前に連れて行ってくれる〝タイムマシン〟なんです。

有賀 表題曲の『ひこうき雲』と同タイトルのアルバムが発売されたのは、'73年の11月でした。ユーミンは19歳の大学生で、レコーディング・ディレクターとして関わった自分を含めて我々3人もまだ20代だった。あれから40年も経ったんですね。

村井 僕が初めてユーミンの曲を聞いたのは、彼女がデビューする2年くらい前でした。当時、僕は元「ザ・タイガース」の加橋かつみさんに曲を提供していて、彼のレコーディングに立ち会ったんです。すると、僕の曲の前に録音していた曲がすごく良かった。

それで加橋さんに「誰が提供した曲なの?」と聞くと「由実という女の子」というので、すぐに紹介してもらったんです。初対面のユーミンはまだ高校生だったんだけど、すごく真面目な子という印象でしたね。

僕は当時『アルファミュージック』という音楽出版社を経営していたので「ウチの専属作曲家になりませんか」と誘ってみたところ、「大学に入ってからお願いします」という返事だった。チェンはもっと前から知り合いだったんでしょ?

チェン 僕がユーミンと知り合ったのは、まだ彼女が中学生のころでした。

そのころ、ユーミンは僕が参加していた「ザ・フィンガーズ」というバンドの〝追っかけ〟だったので、新宿の『ACB』や池袋の『ドラム』といった都内のジャズ喫茶でよく話をしました。出会ったころのユーミンはショートカットでニキビがいっぱいあって、女性というより、面白い女の子という印象でしたね。

彼女は昔から音楽に詳しくて、立川や横田の米軍基地にあるPX(売店)に入り浸っては海外の最新レコードを仕入れていた。「レッド・ツェッペリン」を教えてくれたのもユーミンでした。僕が彼女を「ユーミン」の愛称で呼び始めたのも、このころからでしたね。そのうちに彼女が自分でピアノの弾き語りを吹き込んだカセットテープを持ってきたんです。

有賀 どの曲ですか?

チェン 『ひこうき雲』か『ベルベット・イースター』か、どちらかです。正確には覚えていないんですが、衝撃を受けました。ピアノの旋律は美しいし、風景を丁寧に描写した歌詞も素晴らしかった。

有賀 どちらの曲にしても、15歳で書いたとは思えない出来栄えですよね。

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