週刊現代
日本軍にはびこっていた「陸軍教」という病
〜こうして無謀な戦争がはじまった

日本軍から銃剣を向けられる外国人捕虜たち(1942年2月、シンガポール)〔PHOTO〕gettyimages

私が、かつて会った元陸軍参謀たちのなかで、最も強く印象に残っているのは、朝枝繁春さん(当時83歳)である。

彼は辻政信の下で1942年のシンガポール華僑虐殺にかかわった人だ。戦後4年間のシベリア抑留を経て帰国。以後は自分の罪を悔い、自宅玄関に国際連合旗を掲げ、戦争根絶の方途を考える人生を送っていた。

取材の参考資料にと、彼からわたされた『参謀本部の暴れ者 陸軍参謀朝枝繁春』(三根生久大著・文藝春秋刊)という本の背表紙に、彼は黒いマジックインキでこう記していた。

「私の戦前、中の自己史です。家貧の故に、官費の陸士を志し、あとは、ひたすら殺人戦争を暴進して大罪を犯す」

金は卑しい、汚いもの

朝枝さんは明治45年、山口県生まれ。父親は元船乗りで、北洋でひどい凍傷にかかり、足は両ひざから下、手は指を全部失っていた。一家は窮乏し、朝枝さんは苦学の末に学費の要らない陸軍士官学校に入ったが、そこは一般社会から隔絶した世界だった。

例えば軍人勅諭の暗唱。「我国の軍隊は、世々天皇の統率し給ふ」で始まり「死は鴻毛より軽し」とする勅諭は、軍人の行動基準として最重視されていた。

勅諭の一字一句を正しく奉唱することが絶対条件とされ、兵隊のまえで数ヵ所読み違えた将校が、責任を感じて自決する事件が起きたほどだった。

金銭に対する考え方も世間とはかけはなれていた。「『うどん一杯4円50銭』と言うと、上級生からぶん殴られた。金は卑しい、汚いものだという発想から、円と言わずに4メートル50と言わせられた。戦争は経済から起こるのに・・・・・・根本から間違っていたんだ」と朝枝さんは言った。

彼はさらに陸軍大学校に進んで徹底した戦術教育を受けた。その教育方針は、物量の差を気力で補う極端な精神主義だった。

日々の演習では、敵を一気に殲滅する先制・奇襲攻撃が偏重された。そのため、兵站(=前線への物資補給)が軽視され、長期持久戦やゲリラ戦への対応が考えられていなかった。