意味を考えるより、現場で手を動かすこと
〜世界が注目するデザイナーの信条

ISSEY MIYAKE 宮前義之【第2回】
向田麻衣さんと宮前義之さん
80年代に「プリーツ」を生み出したISSEY MIYAKE。日本を代表するブランドを引き継いだ宮前義之さんは、師匠が築いてきた歴史とどう向き合っているのか?第2回は、服を作る、そして舞台を作るという仕事についてお話を伺います(構成・徳瑠里香/写真・岡村隆広)。

華やかなショーの背景にある様々な物語

向田 服を作る、舞台を作る、というお仕事についても聞かせてください。宮前さんの幼少時代からのお話のなかに「舞台が好き」という言葉が散りばめられていて、服を作る事へと舞台を作る事へは、同じくらいの情熱を感じました。

宮前 舞台はある意味、自分の原点になっていると言えるかもしれませんね。人生で何が幸せかを考えたとき、そのひとつは“感動を共有すること”だと思います。舞台は、その一瞬の時間のために、役者や関係する全スタッフが集中力を注いで創り上げられるもの。その瞬間の感動を共有できたとき、そこにいた人としか得られない特別な価値が生まれるのです。

ISSEY MIYAKEのショーを初めて高校生のときに観たときも、鳥肌が立って頭が真っ白いになるくらい感動しました。どの世界でも人に感動を与えられる人は尊敬するし、自分もいつかそういう仕事がしたいとこの世界に入ってきました。だから今こうして、服を作ることの延長線上に、パリコレのステージを創れることにすごく幸せを感じています。

インターネットの時代だからこそ、ショーを通じてライブでしか得られない感動を見に来てくださった人と共有したいと思っています。

向田 初めてISSEY MIYAKEのショーを観に行ったとき、打ち上げの末席にも混ぜてもらったんです。ファッションの中心の世界に生きる人たちはどんな話をするんだろう、と思ってじーっと観察してました。

「もう間に合わないかと思っていました」と感極まって泣いている方がいたり、情熱と人間味溢れるやりとりがなされていて。そのことが意外で、華やかなショーの裏側にあるドラマに驚き、感動しました。音楽を担当している友人の和田くんも「ISSEY MIYAKEチームの温かさは他のブランドとは違う」と言っていたことの意味が分かったような気がします。

宮前 そのコレクションは本当に大変でした。生地を織って頂いている工場が富士山の麓にあったのですが、突然の大雪で道が塞がってしまい生地が届けられないと。パリへ出発する直前だったので、もう間に合わないかもしれないと覚悟もしました。しかしその生地屋さんは一晩掛けて裏道を見つけながら大切な生地を届けてくださいました。

多くの支えがあって私たちのモノづくりが出来ているのだとあらためて実感し、本当に感動したのを覚えています。

向田 それは生地屋さんが、宮前さんたちがただならぬ情熱をかけていることを理解していて、信頼しているからこそ可能になったことですよね。すばらしいです。