子どもが夢中になったら止めない。
世界が注目するデザイナーを育てた家庭教育

ISSEY MIYAKE 宮前義之【第1回】
向田麻衣さんと宮前義之さん
Lalitpur(ラリトプール)の向田麻衣さんが「美しい瞬間をつくる人」を訪ねる本連載、第3回のゲストは日本を代表するファッションブランドISSEY MIYAKEのデザイナー宮前義之さんです。宮前さんは2011年、35歳という若さでISSEY MIYAKEのデザイナーに就任。2012年春夏のコレクションから、あっと驚く服と舞台を作り上げ、高い評価を得ています。世界が注目する気鋭のデザイナーはどのようにして生まれたのか?第一回は、宮前さんの幼少時代からISSEY MIYAKEに入社するまで、ライフストーリーに迫ります(構成・徳瑠里香/写真・岡村隆広)。

ものづくりの喜びを知った幼少時代

向田 私が人生で初めてパリで観たコレクションのショーは、宮前さんが手がけたISSEY MIYAKEのショー(2014年春夏)でした。10分のショーにかける情熱に感動しました。

ショーの音楽を担当するOpen Reel Ensembleの和田永くんが大学時代の友人で、招待してもらったことがきっかけでしたが、その後もたびたび観に行かせていただきました。私は普段、ネパールとNYと日本を行き来する生活を送っているのですが、それとはまた別の世界の空気を感じたいという思いに駆られて、パリに足を運んでいたのだと思います。

その頃から、このショーを創り上げた宮前さんにお話をお聞きしたいと思っておりました。

宮前 ありがとうございます。光栄です。

向田 さっそくですが、宮前さんがファッションの世界に興味を持たれた最初のきっかけはなんだったんですか?

宮前 向田さんの著書『”美しい瞬間”を生きる』を読んで、とても共感したのは、人はやはり育ってきた環境に大きな影響を受けるのだな、ということです。

うちは父親がアーティストで、母親が自宅で工作教室を開いていました。父親が自宅のアトリエで作品を作っていたり、母親が工作に使う牛乳パックや空き箱、割り箸などを大量に保管していたり……。毎日近所の子どもたちがやってきて、僕も一緒によく工作をしていました。

両親がものづくりをしていたこともあり、僕はなかなか新しいおもちゃを買ってもらえなかったのです。当時は不満でしたが、今思うとそのときに「ほしいものは自分で作る」というものづくりの基礎ができたのかもしれません。

とにかく遊び道具は自分で作っていましたね。小学生のときはトムソーヤに憧れて、家の庭にある大きな木の上に小さなプレハブ小屋のようなものを作ってそこで漫画を読んだり……。そこで友だちも一緒に遊んだり、自分が作ったもので誰かが喜んでくれる、楽しんでくれる、というのが嬉しくて、ものづくりが幼い頃から好きになり、環境には恵まれた気がします。

向田 素晴らしい家庭環境ですね。ちなみにお父さまはどんなものを作っていらっしゃるのですか?

宮前 松の枯れた枝を集めてきて巨大なオブジェを作ったりしていたのですが、僕にはその素材がゴミにしか見えなくて(笑)。最近は配管を集めてきて笛を作っています。クオリティが高くてこれには驚きました。僕も父親の作品が理解できないのですが、父親もファッションには全く興味がないのです。何十年も同じ服を着ているような人ですから。「なぜ息子がファッションデザイナーになったのかわからない」と未だに言っていますね。