「ふとんで年を越したい…」 急増する「見えない貧困」、恐怖の年末年始がやってきた

2015年12月28日(月) 大西 連

大西 連賢者の知恵

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「その日は何だかとても疲れていて、一杯だけと思って缶ビールを買ってきたんです。自分ではビール一杯くらいで酔っぱらうなんて思ってはいなかったんですけど、トイレに行った際に個室に上着を忘れてきてしまったんです。

自分のネカフェのブースに戻ってからしばらくして気が付いてすぐに戻ったんですがすでに盗まれていて。急いで店員を呼んで調べてもらったんですが、結局、犯人はわからず。上着のポケットにいれていた財布ごと盗まれてしまったんです……」

現金は念のために分散して持ち歩いていたというが、その日暮らしのギリギリの日々を送っていた岸田さんにとっては大打撃だった。くしくも、年末に入って仕事は長めの休業のため収入は入らない。日雇いの仕事を探したものの、こちらも年末年始はほとんど見つからなかった。

「それで、急いでネットで相談先を探したんです。そうしたら、ここの連絡先をみつけて……」

岸田さんには今晩帰る家がなく、泊まる場所がない。しかし、いわゆる「ホームレス」ではない。野宿したこともなければ、自分が野宿しなければならない状況になるとは思ってもいなかっただろう。

いま日本では、「ホームレス」が6841人(2014年厚労省ホームレス概数調査)いるとされている。しかし、ここで言う「ホームレス」とは、昼間に目視で確認できる人、すなわち、駅や公園、河川敷などにテントや小屋を建てているなどの「ホームレス」の人のことである。

そういった、いわゆる「ホームレス」の人以外にも、ネットカフェやサウナなどで寝泊まりしたり、知人宅を転々しているなど、安定した住居をもたない「ホームレス状態」の人が近年増加している。その実数は明らかになってはいないが、少なくとも1万人以上は「ホームレス状態」にある人が存在するだろう、とも言われている。

背景には、岸田さんのようになんとか首の皮一枚でつながっていた人でも、ひょんなきっかけから、容易に貧困に、生活困窮に、寝泊まりする場所を失ってしまう可能性があること、そして、岸田さんのような働き方、生き方をせざるを得ない人が増加していることがあげられるだろう。

「年越し派遣村」から7年

「年越し派遣村」を覚えているだろうか。

今からさかのぼること7年前の2008年11月におきた「リーマンショック」を発端とした世界的不況において、日本でも自動車や電機メーカーなどの製造業において、いわゆる「派遣切り」と呼ばれる、派遣労働者の大規模な解雇・雇い止めが発生した。

「年越し派遣村」は、「派遣切り」によって、仕事と住まいを失って(派遣の寮を追い出されるなど)、路頭に迷ってしまった人を支援するために、2008年の暮れから2009年にかけて、NPOや労働組合のメンバーが中心となり、日比谷公園でおこなわれた支援活動である。

そして、約500人の住まいを失った派遣労働者などの生活困窮者が相談に訪れ、国も厚労省の講堂を開放するなどの措置が取られた。

また、2009年から2010年に関しては、民間の支援団体ではなく、東京都が「公設派遣村」を国立オリンピック記念青少年総合センターに開設し、同じく約500人が相談に訪れた。

2008年~2009年、2009年~2010年の年末年始には、「年越し派遣村」という形で、官民での支援活動がおこなわれた(残念ながら2010年以降は公的な取り組みはおこなわれていない)。

しかし、民間のレベルでいうと、年末年始に関しては、各地で炊き出しや夜回り、相談会やシェルターの開設など、さまざまな越冬・越年の活動をおこなっている。通年での支援活動だけでなく、この年末年始の時期に特別にこのような取り組みをおこなっているのは一体どうしてなのだろうか。

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