賢者の知恵
2015年12月29日(火) FERMAT 池田純一

『限界費用ゼロ社会』話題の一冊をどう読むか
〜IT登場以前と以後、ビジョナリの「世界観」はこんなに変わった

upperline
『限界費用ゼロ社会』の著者ジェレミー・リフキン〔photo〕gettyimages

TEXT 池田純一

ビジョナリの変化

現代のシリコンバレーでは、起業や経営の経験をもった者たちがビジョナリの役割を引き受けている。

Googleのラリー・ペイジのように、現役の経営者が企業方針の一環として未来を雄弁に語る。あるいは前回触れたピーター・ディアマンデスのような起業経験者が、事業の現場からは一歩下がってビジョンを練り上げるための交流の場を作り、起業に向けた産婆役を務める。

そうすることで彼らは、ビジョンを語ることを一つの文化習慣として受け止める賛同者を増やそうとする。現代において、起業家、起業経験者、あるいは経営者は、未来に向けた水先案内人として、つまりはビジョナリとして人びとの未来への興味を掻き立てる。

だがこうした流儀は、インターネット登場以後のものであり、端的にビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブズ、エリック・シュミットといった1955年生まれの世代以降、それもIT周辺のビジネスに関わる機会を持つことができた人たちを発端にして起こってきたことだ。

当然、それ以前の世代にとって、起業は必ずしもビジョンを語る際の条件ではなかった。この点で参考になる古参のビジョナリの一人がジェレミー・リフキンだ。

『限界費用ゼロ社会』の読み方

彼の最新刊である『限界費用ゼロ社会』は、そこで語られるIoT(Internet of Things)を意識した未来展望もさることながら、それ以上に現代のビジョンを先導する起業家や投資家たちとの世代的な違いを理解する上で役に立つ。社会に対する発言者の主たる出自が、IT登場の前後で様変わりしているからだ。

タイトルにある「限界費用ゼロ」とは経済学的には「価格ゼロ」を意味する。生産や頒布にかかる費用を限りなくゼロにするITの特質が、デジタルやコミュニケーション以外の領域にも広がっていく。それが、リフキンにとってのIoT社会である。

そのために彼はわざわざインターネットをコミュニケーション、エネルギー、運輸の3つに分けて論じている。

リフキンは、最近ではすっかり見かけなくなった、ダニエル・ベル、アルヴィン・トフラー、レスター・サローなどに連なる文明批評家の一人であり、政策アドバイザーである。過去には『脱牛肉文明への挑戦』(92年)、『エイジ・オブ・アクセス』(00年)、『ヨーロピアン・ドリーム』(04年)、『第三次産業革命』(11年)などの著作もある。

起業家主導のビジョナリたちが台頭する中、リフキンはいわばトフラーら文明批評家としてのビジョナリの最後尾に位置する。「古参」というのはその意味でだ。

次ページ 「巨大なもの」への対抗心
1 2 3 4 次へ

このエントリーをはてなブックマークに追加 RSS
関連記事


underline
アクセスランキング
1時間
24時間
トレンドウォッチ
編集部お薦め記事