45歳の格闘家・高阪剛がRIZINに挑む!~「もしも負けたら・・・そんなことを考えるのは無駄です」

俺はいったい、なにをやってるんだ

「南アフリカ戦で、ラグビー日本代表の選手たちは自分より体の大きな相手に対して、果敢にタックルを決め、勝利をつかんだ。自分の指導が少しでも役に立ったという喜びとともに、努力をしてきた人たちには、結果が与えられるものなんだと改めて実感しました。

彼らの活躍を見て、奮い立たされたのは間違いありません。次は、僕が誰かを奮い立たせる番だと思っています」

1993年、「格闘王」前田日明率いるリングスに入門。圧倒的な強さを誇り、日本人初のUFC定期参戦を実現させた。世界のさまざまな強豪たちと対戦し、あのエメリヤーエンコ・ヒョードルにもTKO勝ちを収め、“世界のTK”として格闘技界を牽引した男・・・それが髙阪剛である。

2006年5月5日、「PRIDE無差別級グランプリ開幕戦」でマーク・ハント相手にTKO負けを喫し、リングを去った髙阪。「まだまだできるのではないか」と惜しまれながらの引退だった。

その髙阪が、今年の年末に開催される「RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015」で現役復帰を果たす。格闘技ファンにとっては、信じられないニュースであった。リングから離れて10年。髙阪はかつてのように戦えるのか。そしてなぜ、まだ戦おうとするのか。

この3年間、ラグビー日本代表のスポットコーチを務めたことでも話題を集めた髙阪。引退後の苦悩と、再び死地に臨む覚悟、そして、「一歩踏み出す勇気をもらった」というラグビー日本代表との交流について語ってもらった。

「一度引退を決めた理由ですか?・・・あの頃は、競技のほかにやるべきことをたくさん抱えていたんです。まだ36歳と若くて、ひとつひとつのことをどう進めていいかわからなかった。すべてを全力でやろうとしても、うまく行かない。

自分にとってリングは神聖な場所ですから、100パーセントの力でその神聖な場所に上がれないことが許せなかった。『今ここでリングを降りるべきだ』、そう納得して引退を決めたつもりでした」

しかし、引退試合の翌日になると、髙阪はまたジムで体をいじめていた。動きたくて仕方がない。どうしてもじっとしていることができなかったのだ。

「引退したことを、頭では理解しているんですよ。でも、試合で負けた悔しさもあって、ウエイトトレーニングをやり出して(笑)。とはいえ、きっと時間が経つにつれてこのモヤモヤは消えるだろう、年を重ねれば戦いたいという気持ちは萎えてくるものだろう。そう思っていました」

でも、萎えなかったんです――と髙阪は続ける。

「トレーニングしている時にも、どこかで試合を意識してしまう。軽めの練習でも戦いを想定してしまう。もうリングを降りたのにおかしな現象ですよね。自分からもう一度やりますと言わないかぎり声は掛からないのに、俺はいったい何をやってるんだと(笑)」

現役の感覚が抜け切らないまま指導者としての活動や解説の仕事を続けていたが、40代に入った頃、髙阪の中にある変化が起こる。

「20代、30代の頃はすべて全力でやろうとしても空回りすることが多かった。でも40歳になった頃から、家庭のこと、体のこと、経営しているジムのこと、一つ一つのことに対してそれぞれ独立させて考えることができるようになった。だから、ほかのことをやっていても『戦い』と向き合えるんじゃないかと思うようになったんです」