賢者の知恵
2015年12月24日(木) 週刊現代

1970年大阪万博の思い出を語ろう~「太陽の塔」をめぐって、岡本太郎と丹下健三が大喧嘩!

今週のディープ・ピープル 堺屋太一×ラサール石井×山下裕二

週刊現代
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大阪万博/'70年3月14日から半年間、大阪府吹田市で開催された、アジアで初めての国際博覧会。名誉総裁は皇太子明仁親王、名誉会長は当時の総理、佐藤栄作だった。「人類の進歩と調和」をテーマに77ヵ国が参加。高度成長をとげた日本が経済大国になったことを示す象徴的なイベントだった〔PHOTO〕gettyimages

来場者たちは皆、人類の進歩と明るい未来を信じていた—戦後日本の最大のお祭りだった万博。会場で胸躍らせたファンたちと「祭りの仕掛け人」が語った。

「ソ連館」も人気だった

山下 大阪万博というと、ひたすら行列に並んでいた記憶があります。

当時、私は小学校6年生で広島に住んでいましたが、あれほどの人波を見たのは生まれて初めてでした。

石井 万博には日本人だけでなく、外国人もたくさん来ていましたね。僕は大阪市内に住む中学3年生だったんですが、当時はまだ外国人が珍しかったので、色んな国の人たちにサインしてもらいました。

堺屋 大阪万博こと「日本万国博覧会」が開催されたのは、今から45年前の'70年。3月から9月までの半年間で、約6422万人が訪れました。

石井 国民の半数以上が見た計算になりますね。

堺屋 ただ、万博の発起人だった私としては、開会からしばらくの間は不安で仕方なかったんです。通産省は、総入場者数を3000万人と見積もっていましたが、当時、人気のあった社会情報学者のマーシャル・マクルーハンは「万博は時代遅れ」と断じ、その流れを汲むアメリカのスタンフォード研究所が行った調査では「日本万国博の入場者数は1850万人」と予測していましたから。

天皇陛下をお迎えして開会式の行われた3月14日は入場者も少なく、みぞれの降る寒い日だった。「こんな調子でお客さんが集まるのだろうか」と心細かったことをよく覚えています。

山下 それは意外ですね。当時、私が愛読していた『週刊少年マガジン』をはじめ、少年向け雑誌はこぞって万博を取り上げていました。「みんな見ているのに、行けなかったら恥ずかしい」と思っていたくらいです。

堺屋 当初、万博は「大阪の地方行事」と見なされていたんです。東京の人からは「大阪人はケチだから土産物が売れないだろう」とか「大阪人は列を乱す」など、ひどいことを言われていた(笑)。

ところが開幕から2ヵ月ほど経つと、実際に万博を見た人たちからの「素晴らしかった」という評判が口コミで東京にも伝わり、一気に入場者が増えたんです。夏休みには、万博に行く乗客で東海道新幹線が満席になるほどでした。

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