勝谷誠彦「騒乱のバンコク」リアルタイム日記
「弾が飛んだら行け!」

 4月16日午前3時。これはバンコク時間である。

 ロイター通信のカメラマン、村本博之さんが撃たれて亡くなった瞬間に私は電話をとって、かねてから私をさまざまな死地に送り込んでくれた最高のプロフェッショナルの旅行代理店に告げた。

「バンコク、いちばん早い便で」。

 とはいえ国内のしがらみがいろいろあってバンコクに到着したのが今朝の日付が変わったあたりであるのが情けない。

 バンコクにはわが師匠の橋田信介さんがいた。鴨志田譲君もいた。ふたりとももう既に亡い。今回のような騒乱が起きれば、二人の顔をテレビの画面で観ることができたはずだと思い、かつ若干は現地を知る私として日本の大マスコミで伝えられている現状があまりに違うのではないかと感じて、とにかく来ることにした。

赤シャツのあふれる街に出撃

 昼間はまことにデイリーな東京での仕事をして、18時ごろに発つ便に乗った。

 成田の第一ビルは久しぶりだが外国人相手の店の充実には驚いた。「アキバ」が店名になるんですよ。悪いことではない。

 ある社の便に乗ってあまりのサービスのひどさに驚いたがそれはまあ、株主総会ででも質問することにする(笑)。

 便が遅れて着いたのは24時少し前だった。迎えてくれた車に、すぐに現在タクシン派(今後は赤シャツと書こうか)が占拠しているところに行ってくれと頼む。このスタッフを探すのが大変だった。

 今は静穏化しているのでいくらでもいるのだろうが、20人余りが死んだ時に手配をすると、誰ひとりいくらカネを出すといっても腰が引けていたのだ。

 後に書いていくことになると思うが、私がここに今日来たのは「その場」の考えではない。タイという国がどこへ行くかをみんな見定めていて、どれに乗るのがいいのかを考えているのである。日本の報道には根本的にその視点が欠けている。そのことを私は今回の旅で見つけていこうと思っている。

 私は日本写真家協会が出してくれているPRESSのカードはぶら下げているが、今回はまったくの自由な立場だ。悪い言葉で言えば愉快犯と言ってもいい。大マスコミが引いてしまった(ドンパチがなくなったと思っているから今は帰ってきているが・笑)現場を見たいというのは本能的な欲求で、だから竹島に行ったりイラクで死にかけたりするのである。

 空港から高速に乗って降りると渋滞だ。今はソンクラーンというタイ正月なので都市人口は減っていて、日本のお盆や正月の状態のはずなのだ。しかし、ある一角を赤シャツが占拠しているので車が動かない。

 地域で言うとパトゥーナムだろうか。最初タイに来始めた20代のころはよく買い物に行ったものだ。交差点だとラーチャプランという名前がこちらでは出ている。

水鉄砲と軍隊

 近づく。今いる人数は5000人ほどではないかという。そもそも今夜は取材に行くつもりではなかったので、車の窓から見るだけだ。しかし、祝祭の雰囲気は伝わってくる。