AKB48総監督・高橋みなみが説く、リーダーの条件!「嫌われる勇気を持てますか?」
卒業記念特別インタビュー

嫌われる勇気を持つ

<たかみなへ 周りを恐れずに、自分の意見を言ってみなさい。そして、嫌われる勇気を持ちなさい>

リーダーとしてうまくAKB48をまとめきれずに悩んでいたころ、秋元(康)先生からこんなメールをもらったことがあります。このひと言があったから、私はリーダーという立場を、最後まで務めあげることが出来たと思っています。

当時私は嫌われたくないという気持ちから、メンバーの欠点や問題を見つけても、それを指摘することができませんでした。でも、それでは個々の力は伸びないし、なによりチームとしてまとまらない。

このままじゃいけないな。…そう思っていた時に秋元先生からメールをもらって、決心がつきました。「嫌われてもいいから、チームのために、AKB48のために、言うべきことを言わなければ」と。

いま、AKB48は「国民的アイドル」と呼ばれるまでに成長しました。「あれだけ大きなグループを、どうやってまとめていたの?」とよく聞かれます。もちろん、いろんな要因があります。周囲の助けもあったし、幸運だってあったはず。ひと言では語れません。でも、「嫌われる勇気を持つ」と決めたことで、チームをまとめていく覚悟ができた。やっぱり、覚悟を持つことが大切なんだと思いますね。

AKB48グループ総監督を務めた高橋みなみが来年3月をもって同グループを卒業する。それをひとつの区切りとして、10年間の活動のなかで身につけたコミュニケーション術やリーダーとしての心得を記した『リーダー論』が出版されることとなった(12月24日発売)。14歳でAKB48に加入したときには決して人の先頭に立つタイプではなかった彼女が、なぜ300人を超すメンバーを率いるまでに成長できたのか。その秘訣を聞いた。

リーダーになる「しかなかった」

初期メンバーとしてAKB48に加入したのが、05年、14歳のときでした。当初はグループ全体でも20人ほどしかいませんでしたが、私はなにも初めから「リーダーになりたい」と思っていたわけではありません。リーダーになる「しかなかった」んです。

ご存じない方も多いと思いますが、実は、私はAKB48の最初のインディーズシングル(『桜の花びらたち』、06年2月発売)で、単独のセンターポジションをもらっていたんです。次の『スカートひらり』(06年6月)では、前田敦子とのWセンターでした。

当時は二人合わせて「あつみな」って呼ばれていて、私はなんとなく、このグループは私と敦子2人のセンター体制でやっていくのかなと思っていました。

でも、メジャー・デビューシングル『会いたかった』(06年10月)のPVで敦子が大きくフィーチャーされ、次第に「AKB48のセンターは前田敦子」というイメージが固まってきました。彼女は、センターというポジションを得たことで、日々輝きを増していった。

傍から見ていて、分かったんです。「ああ、私が敦子のポジションになることは、もうないんだろうな」って。

私は、本当は前田敦子になりたかったのかもしれない。でも、なれないんだって、気づきました。