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2015年12月08日(火) 山折哲雄,高山文彦

なぜ水俣病患者は「チッソを許す」と言い始めたか〜皇后美智子と石牟礼道子のものがたり

【特別対談】山折哲雄×高山文彦

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水俣病患者が「チッソを許す」と言った

髙山文彦 2013年10月に熊本を訪問された天皇皇后が、水俣病の胎児性患者とお会いになりました。そのきっかけをつくったのが、作家の石牟礼道子さんでした。

評論家の鶴見和子さんをしのぶ山百合忌で石牟礼さんは皇后とご縁があって、「人を好きだと思っても好きとも言えん人たちでございます。患者さんたちにぜひ会ってください」と手紙も出していらっしゃった。

石牟礼道子さん(撮影:小原孝博)

ここ数年、私は石牟礼さんと頻繁にお会いする機会があるものですから、話をお聞きして、水俣闘争の歴史をふくめて記録を書き残さなければならない、と思いました。こんどの私の新刊『ふたり 皇后美智子と石牟礼道子』です。

折哲雄 『三田文学』の最新号で、石牟礼道子特集を組んでいて、私も寄稿しています。昨年、石牟礼さんがお出しになったエッセイ集『花の億土へ』(藤原書店)のなかで胎児性患者たちから聞いた思いとして、これ以上争っても自分たちに苦しみが残るだけなので、「私たちはもうチッソを許します」という言葉を紹介していますね。

高山 患者さんが「チッソを許す」と言ったことがいちばん大きかったと思います。この「許す」という言葉は、水俣漁師の象徴のように語られ、七年前に亡くなられた杉本栄子さんから石牟礼さんが聞いています。「許さんと自分がきつか」と杉本さんは言いました。

杉本家がある集落には「のさり」という独特の言葉があって、幸運に限らず病も不運もすべて天からの授かりものという意味です。杉本さんは同じ漁師から「お前たちが騒ぐから魚を全然買ってもらえなくなった」と、殺されかけたこともありました。必死で闘ってきた杉本さんも、死の間際にやっと地に育まれた「のさり」という考えでチッソを許したんでしょう。

山折 水俣はこの言葉が出てくるまでに半世紀かかったんですね。

高山 その半世紀のあいだには、ものも言えず亡くなっていった方々もたくさんおられます。もう故人になりましたが、チッソと闘った患者の川本輝夫さんが1993年ころに、皇室に水俣へおいでいただきたいという請願書を出したと僕は聞いていたので、天皇皇后の水俣訪問を知ったとき、やっと実現するのかと感慨深かったですね。

高山文彦氏

このとき、「語り部の会」を代表して両陛下にお話ししたのが緒方正実さんです。その緒方さんは認定患者になるため行政訴訟を起こし、長年闘っていた。でも行政には相手にされなかった。それが10年たってやっと潮谷義子・熊本県知事(当時)から手紙が届きます。そのなかに「許してください」という言葉が入っているんですが、これにも僕は感動しました。

謝罪する側と許す側の関係が10年のプロセスを経て成立する。悲惨な公害病のなかで最も美しい姿が生まれたんだと感じました。

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