現代新書
中国理解の急所はココだ!
「知の巨人」エズラ・ヴォーゲルが描く鄧小平

【まえがき公開】『鄧小平』(聞き手:橋爪大三郎)
鄧小平(1904-97)〔photo〕gettyimages

現代を代表する社会学者エズラ・ヴォーゲル(ハーバード大学名誉教授)。日本ではベストセラーとなった『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著者として名高い。そのヴォーゲル教授が2000年に大学退職後、10年ものあいだ没頭したのが今の中国を作った男「鄧小平」の研究だった。

現代の「知の巨人」はなぜ鄧小平をテーマに選んだのか。話題の新著『鄧小平』(聞き手:橋爪大三郎)より、まえがきを特別公開! 

まえがき

エズラ・F・ヴォーゲル

20世紀の後半、中国は、新中国としてみごとに復活を果たした。その復活の道筋をつけた指導者は誰かと、後世の歴史家がふり返るとすれば、その立役者こそ、毛沢東ではなくて、鄧小平にほかならない。

私は半世紀あまりにわたって、日本と中国の研究に従事してきた。2000年にハーバード大学を退職することになって、中国のこの変化を西側世界の人びとに、どうやって理解してもらうのがよいかと考えた。そして、鄧小平の研究に全力を注ぐことに決めた。

以来、中国語の文献資料を読んだり、彼をよく知る中国の指導者たちに中国語でインタヴューしたり、彼とつながりのある西側の人びとの記録を当たったりしているうちに、10年もの歳月が経過したが、とうとう鄧小平の本(英語版)を出版することができた。

この本を私は、西側世界の人びとに読んでもらうつもりだった。この本の中国語版が、中国でベストセラーになろうとは、よもや思わなかった。

中国本土で翻訳出版された『鄧小平』は大ベストセラーとなった〔photo〕gettyimages

中国語版が出版されてから2年間、中国の人びとは、中国人の書いたものよりも、ほかのどんな国の著者が書いたものよりも、私の書いた鄧小平の本を読んでくれている。中国本土、香港、台湾で発行されたいろいろな版を合わせると、現在までに、100万冊以上の売り上げを記録している。

1978年に日本研究を始めた私は、以来、毎年のように日本を訪れているので、本書の日本語版(『現代中国の父 鄧小平』〔上・下〕、益尾知佐子・杉本孝訳、2013年9月)が日本経済新聞出版社から刊行されたのは、ほんとうに嬉しいことだった。これまでの研究の成果を、まとまった歴史の全体像として、残しておきたいと思ったからだ。

ただこの本は英語版が800ページ以上、日本語の翻訳は上下2冊で計1200ページ近くもあって、誰でもが読み通せるわけではない。

そこで、同業の社会学者でもある友人の橋爪大三郎氏が、鄧小平を理解するポイントについて私をインタヴューし、誰もが手に取れる新書のかたちにまとめませんか、と提案してくれたのは渡りに舟だった。橋爪氏は、中国についてもしっかり勉強して、周到にインタヴューを進めてくれた。

このインタヴューは短いけれど、鄧小平の生涯と業績の大事なポイントをすべて盛り込むものになったと思う。

鄧小平は、清朝の末期に生まれ、親戚が教える私塾で儒教の教育を受けた。中国の伝統に従ったわけである。

その後、1911年の革命に続く混乱のさなかで青年期を過ごし、当時の多くの若者たちと同じく、中国が近代化して強国となることを願う熱烈な愛国者になった。

それからフランスで5年、ソ連で1年を過ごして、1927年に帰国した。中国が西欧の産業文明にどれほど遅れをとっているか、身に沁みてわかっていたし、ソ連の共産主義がどんなものかも肌でわかっていた。

帰国してすぐ鄧小平は、国共分裂にともなう争乱に巻き込まれる。ほどなく、江西省のソヴィエト地区に派遣されたが、そこでは毛沢東が、中国革命を目指して農村根拠地づくりを進めていた。

鄧小平は、毛沢東の率いる長征にも加わり、山西省南部を基盤に抗日戦を戦った。鄧小平はまもなく、共産主義の思想が堅固で、指導者としての素質もそなえた人物として、毛沢東の目にとまるようになる。

鄧小平は、1978年12月の第11期三中全会で、中国の最高指導者となったのだが、このときまでに、万全の準備を整えていた。外国で過ごした経験もあり、人民解放軍を12年間指導した経験もあり、党の宣伝文書を起草した経験もあり、1949年から1952年まで、1億人の人口を擁する西南局で、最高指導者をつとめた地方行政の経験もある。

1952年に北京に呼ばれてからは、毛沢東と周恩来のかたわらで業務にはげみ、中国のさまざまな重要問題を熟知するようになった。1956年から1966年のあいだ、中国共産党の総書記をつとめ、雲の上の存在である最高指導者の毛沢東に代わって、日々の業務を処理した。

1973年から1975年にかけては、周恩来の癌(がん)が悪化したので、その右腕として、外国の要人と会見したり外交政策を立案したりした。

鄧小平が指導力を発揮したのは、しかし、幅広い長期の経験によるばかりではない。毛沢東の誤った政策である大躍進や文化大革命で、鄧小平も個人として辛酸をなめ、江西の片田舎にやられて、どういう改革が必要かじっくり考える時間があったことが大きい。

鄧小平は、権力の座につくと、日本を10日間じっくり訪問し(1978年10月)、東南アジア(1978年11月)、アメリカ合衆国(1979年1月)も訪れた。

鄧小平は飛び抜けて有能な指導者だった。重要なこととどうでもよいことをはっきり区別し、諸外国と良好な関係をたもち、近代化を進めるにはどうしたらよいかについて中国の学生たちや指導者たちを教育する道筋をつけた。

鄧小平は、中国の方向を、どのように転換させたのか。これほどまで強大な経済的・政治的パワーをもつに至った中国の、基礎をどのように築いたのか。その答えを、橋爪氏と私の二人で、講談社現代新書として日本の読者に届けることができて、嬉しく思っている。

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