元海上自衛隊幹部が明かす!
「中東という戦場」で見た現実

〔Photo〕Getty Images
パリでの同時多発テロに対して、EUが「集団的自衛権の行使」を初めて表明した。日本にとっても、もはや「憲法9条があるから関係ない」では済まされない時代になってしまった。2002年、「イラク戦争」前夜、テロ対策に従事する各国海軍を支援するため、中東という戦場に海上自衛隊の艦隊が向かった。この艦隊を率いた指揮官だった髙嶋博視・海上自衛隊元横須賀地方総監は当時、何を思い、戦争にどんな覚悟を決めていたのか。

イージス艦派遣をめぐる「不毛の議論」

平成14年(2002)11月、私は、護衛艦隊司令部幕僚長から第1護衛隊群司令(在横須賀)に転出した。ほどなくして、テロ対策に従事している、列国海軍に対する補給支援活動に従事するため、インド洋に展開した。所謂「テロ特」(テロ対策特別措置法)である。

11月25日という出港(出国)日は、まさに米英軍等によるイラク攻撃が明日にも始まろうかというときであり、現地に赴く我々自身は勿論のこと、マスコミの関心・焦点は、いざ攻撃が始まったならば、現地に展開している我々(海上自衛隊のインド洋派遣部隊)がどのようにかかわるのかにあった。

横須賀出港前、総監部の一室で記者会見があり、記者からそこを突かれた私は、「上級司令部と連携を密にして、本国の指示に従って行動する」というのが精一杯であった。当然、中央や上級司令部ではその点について議論がなされていたと思うが、派遣部隊指揮官に明示できるまでには至っていなかったのであろう。

余談ではあるが、当時中央ではこの問題に加え、米海軍と極めて相互運用能力(インターオペラビリティ)が高い「イージス艦を派遣していいのか」という、今思えば笑い話のような議論が真面目な顔でなされていた。

この問題は、結果的に我々の出港までに結論(政治的決着)が得られず、後日、現地(インド洋)では甲板で目玉焼きができる、即ち、それほど過酷な環境条件下での任務であるという説明・論理が政治的に受け入れられ、私の旗艦となるべきイージス艦「きりしま」の出港が認められたのである。

「きりしま」は我々に遅れること約3週間、母港横須賀を出港、インド洋に急行し、現地で我々に合流した。数年後、あるマスコミ関係者とこの件について話していたとき、彼が「あの(イージス艦派遣)議論はいったいなんだったのでしょうか?」と私に訊ねた。私は迷わず「不毛の議論です」と応えた。