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「いけずやわ、ほんまに」
〜よそ者には敷居が高い「素顔の京都」の楽しみ方

表と裏と、この街には知らない顔がある
〔PHOTO〕gettyimages

観光客の見る京都と、京都人が知っている京都は、同じようでいてまったく違う。「いけず」の向こうの豊饒な世界は、どうすれば垣間見られるのか。少し居ずまいを正して、素顔の京都を探しに行こう。

よそ者には感じ取れない

「京都にはどこまで行っても、その向こうに奥座敷がある。本当の奥の奥は、外の人は滅多なことでは見られない。それも京都人の手引きがないかぎり、見ることができないのです。でもそれこそが、京都の魅力の源なのでしょう。京都人は、この多重構造を見せたり、閉ざしたり、時にはチラリと見せたりといったことを、自在にやってのける」

こう話すのは、京都市在住の宗教学者、山折哲雄氏である。

いつ訪れても、京都の街の空気には、あたたかさや懐かしさの陰に、ひとすじの緊張感が漂っている。「おこしやす」と優しく微笑みながらも、こちらの立ち居振る舞いに目を光らせている、和装の女将のような—思わず、背筋が伸びてしまうような。

1200年の歴史を誇る古都には、表の顔と裏の顔がある。よそ者には、この「多重構造」は、なかなか感じ取れない。しかし、これを承知しているといないとでは、京都を愉しめる深さが、まったく違ってくる。

少なからぬ人が、すでに一度ならず京都へは足を運んでいることだろう。しかし、旅慣れた人にも、神社仏閣や景勝地といった「京都らしい」場所をめぐり、予約したお店で会席料理を食べ、八つ橋を買って新幹線に飛び乗る、というだけの人は多い。こうしたお決まりからはみ出そうとすると、途端にどうしてよいか分からなくなってしまうのが、京都の街の何とも「いけず」なところである。

清水寺や金閣寺のような有名どころだけでなく、むしろ何気ないところにこそ、京都の魅力はひそんでいる—そうヒントを出すのは、錦市場の京漬物店「錦・高倉屋」店主で、バッキー井上の筆名でライターとしても活躍する、井上英男氏だ。