「心の大国」を証明しようとする日本人

 東日本大震災で、この国は新たなフェーズに入った。それは「誠意」ということが厳しく問われる時代になったということだ。そのことが、政治にも経済にもメディアにも問われる。原発のリスクがなくなり、被災地が復興するまで、そこから逸脱することは許されないだろう。そのことは日本が「心の大国」だったという証明として歴史に刻まれるだろう。

東電賠償「上限なし」での日米の感覚の違い

 5月12日の日本経済新聞朝刊の経済面に「東電賠償『上限なし』は誤り」というジョン・ハムレ米戦略研究所長の寄稿が掲載されている。

 ハムレ氏の主張の核心は「電力会社の信用格付けを日本だけでなく、世界でも著しく損なう」「いかなる投資家も上限のない責任制度に伴うリスクには耐えられない」というものだ。

 もちろん、ハムレ氏の書いているように、この措置は政治的なセンスから出てきたものだ。ところが、背景にある国民のメンタリティーが日米では大きく異なる。

 1992年の起きた「マクドナルド・コーヒー事件」を想起して欲しい。マクドナルドのドライブスルーで、コーヒーを買って、膝の間にはさみ、熱くて溢してしまい、やけどを負った老女が、16万ドルという多額の賠償評決を受けたというものだ。

 日本ではこんなことはあり得ない。「そういう飲み方をしたあなたにとって自業自得だ」という意見が多数派になるだろう。

 米国人は「徹底的に自己主張して、勝利を得る」ということを好む。しかし、日本人は「何事にも『ほどほど』があるよ」と考える。

 土居健郎の『「甘え」の構造』、中根千枝の『タテ社会の人間関係』、山岸俊男の『信頼の構造』などに書かれている日本人の特徴は、とにかく「安心を得たい」というものだ。

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