父親4人、貧困、虐待、中卒で就職、インドネシアで1000万の生命保険に……安倍昭恵が果てしなき「壮絶人生」に迫る!
安倍昭恵×黒沢一樹(第一回)
安倍昭恵さんと黒沢一樹さん
就職に悩む若者や生きづらさを感じる若者をサポートするNPO「若者就職支援協会」理事長の黒沢一樹さん。父親が4人、兄弟は6人、貧困、継父からの虐待、中卒で就職、その後転職は50回……と34歳 にして壮絶な人生を送ってきた。現在はその経験を活かして、キャリアコンサルタントとして将来に悩む若者たちに寄り添う。そんな黒沢さんの話を聞きたいと、首相夫人の安倍昭恵さんがインタビューを実施。その内容をお届けする。第一回は、ヌードダンサーの母の職場で育った幼少時代から、妹と弟の子育て、インドネシアに行った17歳まで、黒沢さんの「壮絶人生」前編――

ヌードダンサーの母の職場で育った幼少時代

安倍: 黒沢さんのお話をお聞きしたかったんです。まず、これまでの黒沢さんの来し方を伺わせてください。

黒沢: 僕は山口県の防府市生まれで、母親は17歳のときに僕を産んで、高校を辞めました。

安倍: 高校生で産む決意をされたんですね。お父さんとはご結婚されたのですよね?

黒沢: その辺りは曖昧なんです(笑)。母は僕を産んですぐに最初の父親と別れました。母はヌードダンサーをしていたので地方を転々として、山口や島根を行ったり来たりしつつ、たまたま九州のほうに流れ着いて、僕が4歳の頃、熊本に住み始めました。

そこで2番目の父親と出会っています。2番目の父は同じ職場でボーイをやっていました。いわゆる職場恋愛ですね(笑)。

劇場に住み込みのような形だったので、夕方6時くらいになってくると、スケスケの衣裳を着たお姉さんたちが常にその辺をウロウロしていて、母親が仕事に行っている間、僕はそういう人たちに面倒をみてもらっていたんです。

母は劇場の仕事が終わったらその後飲み屋に行くので、僕は21時くらいになったらそこに行って「社長、かっこいいね!」なんて一言ヨイショしてお小遣いをもらう。小学校3年生くらいまではそんな生活でしたね。

安倍: そんな小さい子が飲み屋で「社長、かっこいいね!」なんてマセたお世辞を言うんですか(笑)。

黒沢: そうすると母親に指名が入るので、僕は子供心にもわかっていたんですね。

安倍: お母さんがヌードダンサーだということもわかっておられたんですか? イヤだとかお思いにならなかったんですか?

黒沢: 今となってはよくわからないですね。小さい頃からそういう環境で育っていて、地元には母親のファンがたくさんいて、あのダンサーの子供だというだけで可愛がってもらえたりもしたので。僕にとってはむしろ幸せな時代でした。