国際・外交 テロ
世界はなぜ「暴力の時代」に逆戻りしたのか? ターニングポイントは中・露の「無法行為」だった!
「話せば分かる」はもう通じない
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なぜ「暴力の時代」に逆戻りしたのか

パリが同時多発テロに襲われた。

私は1月のシャルリーエブド襲撃事件の後、2月20日公開コラム(http://gendai.ismedia.jp/articles/premium01/42185)で「世界は『テロと戦争の時代』にモードチェンジしたのではないか」と疑問形で書いたが、残念ながら、それは正しかったようだ。オランド仏大統領は「フランスは戦争状態にある」と言明した。

事件の詳細はテレビや新聞が連日報じているから、ここでは長期的な視点から事件を考えてみる。世界はどのようにして、テロと戦争の時代に逆戻りしてしまったのか。

1945年の第2次大戦終結後、世界を揺るがすような大規模テロはしばらく起きなかった。その代わり、米国と旧ソ連が東西両陣営に分かれて冷戦を戦った。

冷戦はどんな戦いだったか。若い読者にはなじみがないだろうから、簡単にふりかえろう。

冷戦は米ソ両国がそれぞれ自前の核兵器を手にしたうえで、集団的自衛権に基づいて仲間の国と同盟関係を作って相手に対峙した戦いである。米欧の西側が結成したのは北大西洋条約機構(NATO)、ソ連の東側はワルシャワ条約機構(WTO)だ。

集団的自衛権というと、日本では「戦争につながる」などとトンチンカンな議論が横行したが、そもそもは他国に攻撃されないよう仲間を作る権利だ。「仲間に手を出せば全員で報復するぞ」と牽制したのである。

日本はNATOに加わらなかったが、米国と安全保障条約を結んだ。だから西側の一員だ。そんな世界の安保枠組みができた結果、どうなったか。

朝鮮やベトナム、アフガニスタン、アンゴラ、ソマリアなど各地で局地的な戦争や内戦は起きたが、米ソの大国同士が直接、激突して火花を散らす大戦争は起きなかった。熱い戦い(ホット・ウォー)の代わりに、冷たいにらみ合いが続いたから冷戦(コールド・ウォー)と呼ぶ。

46年から始まった冷戦が終結したのは、半世紀近く経った89年である。だから、冷戦期は逆説的に「長い平和」の時代ともいわれている。

冷戦期を支配した戦略思考の基本は、双方が「相手は敵」とみなす敵対関係である。ただし、互いににらみ合ったまま「共存」するのは認める。けっして核兵器を使ったりはしない。なぜかといえば、相手も核兵器を持っているから攻撃すれば必ず報復され、自分が滅びかねなかったからだ。

この「殺れば殺られる」関係を「相互確証破壊(Mutual Assured Destruction=MAD)」と呼んでいた。まさにMAD(狂気)のような関係である。

核廃絶は理想的だが、だからといって一方的に核兵器を手放せば、MADのバランスが崩れて熱戦を招く危険がある。MADに基づく冷戦は熱戦を避ける両陣営のリアリズムでもあった。

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