作家・富樫倫太郎さんの「わが人生最高の10冊」
司馬遼太郎に魅せられて踏み入った「作家」の世界

小説というものに初めて強く惹かれたのは、中学生の頃です。司馬遼太郎先生の『竜馬がゆく』を読んで面白さに引き込まれ、小遣いを貯めて1冊ずつ、自分のおカネで買いました。

10冊の中に挙げたのは『新選組血風録』ですが、司馬先生の作品には多くの影響を受けてきました。『新選組~』に収められた「芹沢鴨の暗殺」は、何度も読み返してきただけでなく、作家になると決めてからは一言一句書き写して、小説家の息遣いを勉強しました。

たぶん、小説になる物語というのは、アイディアだけなら誰でも思いつくことがあるのです。

けれども、アイディアをそのまま書いても小説にはならない。演劇が俳優だけいても上演できず、衣装や舞台美術があって初めて成立するのと同じで、小説もアイディア以外の地の部分がとても重要。それを司馬先生は巧みに語るのです。

世間では、「司馬史観」などとも呼ばれ、司馬先生は歴史の大家だ、新しい歴史観の提唱者だと言う人もいます。それに反発して、「司馬作品のあれは事実でない、ここは空想だ」と議論する人もいますが、私にとって司馬先生は、話の上手な物知りのおじいさん。語り部として、歴史の面白いところをつまみ食いさせてくれる、その天才的な技量に感服させられます。

いま、歴史小説や時代小説は「冬の時代」とも呼ばれます。私も書き手として冷たい風を感じていますが、一方で作家という職業の困難さとは、長年、付き合ってきた気もします。

私は小学校のときから、マンガ家になりたいと夢見ていて、物語を書いたり絵を描いたりしていたのですが、途中でどうも絵を描く才能には欠けているんじゃないかと気づいた。それなら、物語を作って生きていきたい、と漠然と思い続けていました。

大学を卒業して化粧品会社に就職したのですが、3年勤めた後、「やはり作家になりたいので辞めます」と退職したんです。'90年代、まだバブルの名残もあって、「ダメでも何か仕事はあるだろう」と簡単に考えていたようなところもあります。いま考えれば恐ろしい決断でした(笑)。

進学塾の講師をやり、子供たちを教えながら執筆を続けてきたのですが、なかなか新人賞にも引っかからない。「誰でも5年真面目にやれば新人賞は取れる、その後、書き続けることのほうが大変だ」と大先輩の作家が仰っていましたが、私は15年近く芽が出なかった。

ようやく賞をいただき、「こういう小説を書きませんか」と仕事が来るようになったのが'90年代末。当時、夢枕獏さんの陰陽師シリーズがブームになっていて、陰陽師もののホラーをノベルスで書いたら、それが結構売れたんです。