自民党「金権政治」の起源
〜憲法改正の挫折、そして「所得倍増」の時代へ

「戦後レジームの正体」第8回(前編)
1960年安保闘争で国会を取り囲むデモ隊〔photo〕wikipedia

大物たちの黒い金脈

1955(昭和30)年に自由民主党が結成されたときに、憲法の「自主的改正」が党是とされたことは前々回記したが、それと同時に選挙制度の改正が主目標として掲げられた。中選挙区制を廃止して小選挙区制を導入するということになったのである。

当時は中選挙区制で一つの選挙区から3~5人の議員を選出することになっていたのだが、政権を持続するには複数の当選者が必要で、必然的に自民党の候補者の間で同士討ちになる。社会党や共産党とは選挙民の発想が異なるが、自民党の候補者の間では発想、政策に違いがないので、より激しい、凄まじい同士討ちにならざるを得ない。

それに、発想、政策に違いがない戦いになると、情実因縁、サービス、利害誘導などの競争、もっと露骨に言えば、選挙戦のためにいかに金を使うか、その金額をいかに増やせるかの戦いになる。つまり金権選挙にならざるを得なくなる。

たとえば鳩山一郎には、戦争中に上海で軍部の物資調達にあたっていて、その資金をそっくり日本に持ち帰った児玉誉士夫との闇のつながりがあり、岸信介には満州以来の巧みな濾過装置を経た金脈があった。

また河野一郎、大野伴睦など自民党の幹部たちも、それぞれに黒い金脈を持っていて、それを有することが幹部の資格でもあった。しかも時代とともに金権の規模が増大した。

さらに、選挙での同士討ちの激しさから、党内の融和と結束が乱れ、反主流派、非主流派などの派閥が公然と主流派に叛旗を翻すことになったのである。

それに対して小選挙区制ならば、候補者は一つの選挙区で一人の公認候補となるので、金権選挙にならず、党内の結束力が高まると考えられたのだ。

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