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【クルマ界歴史の証人】三菱自動車の新開発・吉松広彰【前編】
〜東大・UCLAを経てモータースポーツ界で活躍するまで

筑波サーキットでB級ライセンスを取得した際のショット。向かって右が吉松氏でラリーアートのトレーナーを着ているのが現在の三菱自動車社長の相川哲郎氏である

自動車業界およびモータースポーツの勃興期に活躍され、多大な功績を収めた先輩方に語っていただく本企画。

今回から元三菱自動車、商品企画担当の吉松広彰氏の証言が始まる。ランサーエボリューション誕生前夜、どのような想いが吉松氏を動かしたのか?

今回の証人吉松広彰とは?

最新のアウトランダーPHEVの前にて。今年、定年退職し、現在は「軽自動車検査協会」で新たな活動を開始した

1954年、岡山県生まれ。幼少期は岡山で過ごし、8歳の頃に武蔵小金井に父の転勤により転居。都立立川高校から東京大学工学部応用物理学科へと進む。東大卒業後、カリフォルニア大学ロサンジェルス校工学部修士課程に移り'80年3月卒業。同年5月に三菱自動車工業入社、愛知県岡崎にある研究部に配属となり、エンジニアとして音と振動を担当。

'86年5月に本社の商品企画部へと異動。ミラージュ/ランサーを皮切りに、カリスマ、コルトなどの商品企画を担当。この頃、社員チームを結成しミラージュカップに監督兼メカニックとして参加。また"世界中の本物のモータースポーツ"に数多く触れ、同時に"多くの尊敬すべき人々"との関係を築いたことがランサーエボリューションⅠ~Ⅲの誕生へと繋がる。

その後も数多くの商品開発プロジェクトに参画し、'11年10月、三菱自動車と日産自動車が合弁で設立したNMKVで新型軽自動車企画開発の最高技術責任者を務めるなどして昨年、定年退職を迎えた。現在は軽自動車の検査事務を国に代わって実施する機関「軽自動車検査協会」の情報システム担当理事として新たなキャリアをスタート。

幼い頃はスロットカー好き。大学入学後からクルマ漬け

私が幼い頃、まだオート三輪ぐらいしかなかった。少しゆとりがある家に、ようやく乗用車がちらほら見られる程度だった。一般家庭ではオートバイがいいところという時代。

父が公務員であった我が家は当然、バイクはもちろん、クルマもなかったが周囲の家もほとんど同じようなものであったから、なんの不足も不満も感じなかった。そんな時代でも子供たちの話題の中心には、憧れであるクルマがあり、街で出会えば、じっと見つめ、後ろ姿に目を輝かせて追った。

そして8歳の頃、父の転勤で岡山から都下の武蔵小金井に引っ越すことになった。岡山とは比べものにならないほどのクルマが道を行き交い、毎日が楽しくてしかたがなかった。ただ父は中央線を使えば大過なく役所まで通勤でき、それで事足りていたため、まだ我が家には自家用のクルマがなかった。

少年時代の私にとって、楽しみであり、もっとも夢中になったことといえばスロットカーである。田宮模型の24分の1モデルだったか、小遣いを貯めては1台買い、また貯めては1台買いと、とにかくのめり込んだ。実は今でも当時のスロットカーの雑誌広告の切り抜きを持っているのだが、とにかくレーシングカーのカッコよさに惹かれた。