雑誌 企業・経営
マッサージチェア市場No.1をひたすら独走!
〜技術の力で現代人のストレスを揉みほぐす

フジ医療器・木原定男社長に聞く

フジ医療器が、世界初のマッサージチェアを発明したのは昭和29年のことだった。当時は、肩や腰を刺激する部品「揉み玉」に軟式野球のボールが使われ、動力の伝達には自転車のチェーンが用いられていたという。それ以来、同社はマッサージチェアの製造、販売を行い、現在、同商品のシェアトップを走っている。木原定男社長(68歳)は「会社で試作品を使うと、気持ちよくて眠くなるから困る(笑)」と話す気さくな人物だ。

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きはら・さだお/'47年和歌山県生まれ。'66年に和歌山県立和歌山商業高校を卒業し、東京のアパレルメーカーで働き、'68年にフジ医療器へ入社。その後、西日本を中心に抜群の営業成績を残し、'92年に営業本部長に就任。'02年から常務取締役などを歴任し、'12年より現職。従業員数300名超の企業を率いる

文明の利器

昭和の頃のマッサージチェアは、叩く・揉むの機能しかありませんでしたが、現在のマッサージチェアは、人の手ではできない機能を持っています。

例えば肩甲骨のストレッチをしながら足裏、ふくらはぎ、腕、腰を同時に揉めます。また、機械に、体型と好みのマッサージを記憶させれば、何も言わなくとも自分にぴったりの施術を繰り返してくれます。

腕や脚を挟むユニットなどには「エアーバッグ」と呼ばれる部品が埋め込んであります。これに空気を入れたり抜いたりすると、広範囲を優しく刺激できます。だから、ふくらはぎや肩の骨についている筋肉など、ぐりぐり指圧すると痛い筋肉も優しく刺激できます。

技術が進化すると、次々、便利な機械が生まれますよね。ただし、パソコンやスマートフォンは長時間使うと肩や首が疲れるなど、機械が体に優しいとは限りません。だから我が社は、文明の進化によって生まれたストレスを技術力により取り除こうと思って、開発を続けてきました。

好奇心

時代 '80年代前半、フジ医療器のマッサージチェア展示車と木原氏。抜群の営業成績を収めていた

生まれは和歌山県です。父は会社を経営しており、幼い頃はいい暮らし向きでした。しかし諸般の事情で父が廃業すると、私が大学へ行くお金すらなくなってしまったのです。でも、お金はなくとも、私には好奇心があふれるほどありました。「どうせ苦労するなら大都会へ」と考え、高校卒業後、身よりもなく知人もいない東京の会社に就職しました。

上京後、マクドナルドが日本へ初出店した時も、銀座通りが歩行者天国になった時も、初日に行きました。当時も今も「肌で味わうこと」「自分の目で見て、自分の頭で考えること」こそが生きている証だと思っています。そんな生き方が幸いしたのか、人生が切り拓かれたのは3年後、縁あって弊社の営業になってからでした。

当時、マッサージチェアは10円硬貨を入れると3分ほど動くもので、販売先は銭湯や温泉街の旅館でした。この時、私は旅館の方たちの心理に興味を持ったのです。例えば、お客様と話すうち「地域で最も格が高い旅館に仕入れてもらえば、周辺の旅館も買ってくれる!」とわかると成績が伸びました。

また、マッサージチェアを無料で銭湯や旅館に貸し、利用客が喜ぶ姿や、たまった10円玉を見せれば売れるとも気付きました。何にでも好奇心を持ち、自分の頭で考える癖がついていたからこその結果だったのでしょう。