構想執筆20年、今年最大の収穫本『日本精神史』はこうして生まれた。西洋哲学徒にとって「日本」とは何だったのか?
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上下巻合わせて1000ページ超。この秋刊行された大著『日本精神史』が売れている。縄文の三内丸山遺跡から江戸の四谷怪談まで、日本の「精神」の流れをたった一人で描いた他に類を見ない本だ。しかも平易な語り口で、読み始めたら止まらない。

著者はヘーゲルの明快な翻訳で高く評価される在野の哲学者・長谷川宏さん。なぜ西洋哲学を専門にしてきた長谷川さんが、「日本」と向き合うことになったのか? 執筆のきっかけとこの本に込めた思いを聞いた。 

西洋近代哲学の「外」へ

執筆に十数年、構想をいだきはじめた頃から数えればだいたい20年くらいの年月をかけて、このほど『日本精神史』という本を上梓しました。上下2巻合わせて1000ページを少し超える大著です。どうやってそんな本を書く気になったのか、そのいきさつから話します。

大学では哲学科に属して、学部でサルトルを、大学院ではヘーゲルを研究しました。サルトルとヘーゲルを結ぶ西洋近代哲学が自分の研究対象だろうなと、漠然と思っていました。

長谷川宏氏

28歳になって、ドクター(博士課程)ももう終わりのころ、全共闘運動が始まりました。私は60年安保も経験しているので、なんとなく血も騒ぐし、大学の先生とケンカするのも面白そうだし、他の学生たちよりは年上でしたが、運動に参加しました。

そこでいろいろ考えているうちに、大学で研究を続けているという自分のあり方を、運動そのものが問うている、と感じたのです。

運動が終わったからまた大学にもどって教員になるというのは、身の処し方としてどうしても納得できないものがある。そこで、いったんアカデミズムから出ようと決意し、埼玉県の所沢に引っ越して塾をはじめました。

そうなると、それまで自分が考えてきた西洋近代の哲学という枠組みが、そんなに意味があるように思えなくなってきます。

大学院時代は、いちおう哲学科なので、英独仏の原書を読み、ノートをとり文章を書くのが生活の中心でしたが、それ以外の時間には、日本の古典を読んだり、東西の文学や詩を読んだりするのが、とても好きでした。それもあって、大学をやめた1969年から70年頃には、哲学よりももう少し広く文化的な仕事をしてみたい、と思うようになりました。

実際に、1970年代の半ばには、『ことばへの道』(勁草書房→講談社学術文庫)という、哲学専門というよりは、文学や詩を合わせて扱う本を書きました。80年代に入っては、黒田喜夫という詩人についての本も出しています。山形県の極貧の出身で、「毒虫飼育」とか「空想のゲリラ」とか面白い詩を書いた人です。

そういう分野へ自分の触手を延ばしていくのが気持ちよかったし、環境の変化を上手に利用できているな、という意識もありました。

そういう西洋近代の哲学という枠組みから出て行こうという気持ちが、1990年代になって、日本の古典を読み、日本の美術作品を見ながら『日本精神史』を書いていくことにつながっていきました。