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怪獣との死闘で倒産寸前! 会社を救ったのは"帰ってきたカメラマン"だった
円谷プロダクション 大岡新一社長に聞く

M78星雲からやってきたウルトラマンが、怪獣らと死闘を始めたのは'66年のこと。それを卓抜した特撮技術で撮影し、世に出したのが円谷プロダクションだ。その後も同社は数々の傑作を制作するが、クオリティにこだわるあまり赤字を出すなど、経営は混乱。'07年には倒産が懸念される事態に陥った。

この危機に立ち向かったのが、現社長の大岡新一氏(68歳)。元カメラマンで、フリーランスに転身したあと、同社に乞われ戻ってきた人物だ。

おおおか・しんいち/'47年東京都生まれ。'69年に慶應義塾大学法学部を中退し、円谷プロダクションへ入社。その後フリーとなり、撮影監督、特技監督として名を馳せる。その後も制作統括として円谷プロダクションの作品に携わり、'08年に代表取締役社長へ就任、以来、赤字を一掃するなど経営者として奮闘

【誇り】

昭和40年代、撮影現場の労働環境は劣悪でした(笑)。

例えば現在と違いスタジオに空調設備はなく、夏は蒸し風呂のように暑くなります。この中で火薬を使い、ミニチュアを爆破すると、全員が汗とホコリにまみれて真っ黒です。しかも3日くらいの不眠不休は当たり前。ところがみんなウルトラマンが好きだから、やる気をなくすスタッフは誰もいない。しかし、この土壌は諸刃の剣でもありました。

作品を愛するあまり「クオリティさえ高ければ予算は気にしなくてもいい」という空気が流れ、弊社が一時、苦境に陥るきっかけにもなったのです。

今は社員に、高いクオリティを求めつつ「ムダは省くように」と口を酸っぱくして言っています。例えば、セットの端のほうは作品に映らないことが多い。作り込むのは、単なるムダなのです。

現在は様々なコンテンツがあります。映像の質だけでなく、コストでも優位に立たなければ他のコンテンツと比較し、勝てない時代になっているのです。

【心機一転】

私の父は敗戦時に香港におり、捕虜になりました。復員後は心機一転、「新たに一から出直そう」と考えたそうです。そこで、この頃生まれた私に「新一」と名付けた。この名から、よく、長男だと思われます。でも私、次男なんです。

【鈍感力】

仕事というのは、自分の根源的な体験に導かれるようにして出会うものなのでしょう。父が転勤族で、私も福岡、大阪などへ転校を繰り返しました。だからいつも新しい仲間に気を遣い、私はよく言えば協調性がある子、悪く言えば言いたいことを抑える子になったんです。そんな性格だから、会社を立て直す際の調整役として社長職を任されたのかもしれません。自分自身でも、向いていると思います。

気を遣い過ぎる私は、経営を建て直さなければいけないという思いと、クオリティを求める社員の思い、すべて形にしようとするうち、気苦労を重ね、一時は社長なのに出社拒否症になるほどでした(笑)。

しかし「時には人の思いに対する敏感さを捨て、自分の思う方向に進んでいくことも必要なのだ」と気持ちを切り替えると、様々なことが上手くいくようになったのです。そしてわかったのは、人の気持ちをわからず進むことと、あえて鈍感にふるまうこととでは、結果に大きな違いがある、ということです。