週刊現代
歴史の真実を追い求めた作家・船戸与一の生きざま
〔PHOTO〕gettyimages

「史実」と「作家の想像力」の折り合いをどうつけるか

司馬遼太郎さんは書き出しの天才である。彼の筆遣いは人の心をわしづかみにする。たとえば日露戦争を描いた『坂の上の雲』はこんなふうに始まる。

〈まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている。/その列島のなかの一つの島が四国であり、四国は、讃岐、阿波、土佐、伊予にわかれている〉

わずか六十数字で時空の壁を飛び越え、空から明治の四国を眺めているような気分にさせられる。そこで、物語の主題がほのめかされ、〈われわれは三人の人物のあとを追わねばならない〉とくるから、これはもう先を読まずにいられない。

『街道をゆく』の書き出しもため息がでるほどうまい。

〈「近江」/というこのあわあわとした国名を口ずさむだけでもう、私には詩がはじまっているほど、この国が好きである〉

人を物語の世界に引き込む技術において司馬さんは卓越している。ただ、ノンフィクションを書いてきた者から見れば、彼の物語には戸惑う部分もある。

時に、史実とかけ離れてしまうのである。成田龍一・日女大教授(日本近現代史)によれば『竜馬がゆく』にはそういう箇所が少なからずあるという。

例を挙げよう。竜馬が江戸での剣術修業時代に桂小五郎と公式試合で対戦する有名な場面がある。司馬さんは二人の対戦には〈残っている記録が多い〉と言って、息詰まる対戦を描く。

が、実際の公式試合は1858年10月にあった。竜馬はその年9月に江戸を離れているから試合に参加できない。桂との対戦は架空の話である。

土佐の絵師・河田小竜―竜馬が西洋文明の力を知り、攘夷論から転換するきっかけを作ったとされる人物―との出会いも司馬さんは実際より数年ずらしている。そのほうが物語の展開に都合がよかったからだろう。

むろん、作り話が多々あるからといって司馬文学の価値が落ちるとは私は思わない。作家の想像力が入り込む余地がないと歴史は無味乾燥になる。問題は、史実と作家の想像力の折り合いをどうつけるか、である。

それについて船戸与一さんは、遺作となった『満州国演義』完結編の後書きでこう述べる。

〈小説は歴史の奴隷ではないが、歴史もまた小説の玩具ではない。(略)歴史は客観的と認定された事実の繋がりによって構成されているが、その事実関係の連鎖によって小説家の想像力が封殺され、単に事実関係をなぞるだけになってはならない。かと言って、小説家が脳裏に浮かんだみずからのストーリィのために事実関係を強引に拗じ曲げるような真似はすべきでない〉

痛烈な司馬批判ーーかどうかともかく、船戸さんの結論は〈認定された客観的事実と小説家の想像力。このふたつはたがいに補足しあいながら緊張感を持って対峙すべきである〉だった。

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