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「奇跡のストッパー」45歳の若さで逝った盛田幸妃
親友が明かす「愛妻との感動闘病記」

'13年、3度目の手術を終えた盛田。本人のブログより

脳腫瘍から奇跡の復活を果たし、マウンドに帰って来た男は、引退後も再発したがんに苦しめられた。それでもなお生きようともがいた。不屈の男とそれを支えた妻。知られざる夫婦の物語を明かす。

異変は突然起きた

「盛田が亡くなった日(10月16日)の午前中に、知り合いから連絡をもらって、佐々木(主浩)さんと一緒にすぐ横浜にある彼の自宅に向かいました。奥さんもお父さんも涙を流されている姿を見て、かける言葉が出てこなくて……。心の中で『よう、頑張ったな』と言って盛田の手を握りました。

眠っている盛田は安らかな顔でした。野球が大好きで、闘病中も試合中継は欠かさずに見ていたそうです。体は痩せていましたが肩幅は相変わらずがっちりしていて、あいつのマウンドでの力強い姿を思い出しましたね」

元横浜ベイスターズで現在は解説者を務める野村弘樹は、親友の死をこう悼んだ。盛田とは大洋ホエールズの同期入団で同い年でもある。

脳腫瘍から復帰し、「奇跡のストッパー」と呼ばれた盛田幸妃が亡くなった。享年45。

盛田は北海道の函館有斗高校卒業後、'87年秋のドラフト1位で大洋に入団。'92年には中継ぎながら最優秀防御率のタイトルを獲得する。

闘志を前面に押し出し、打者に向かっていくのが、盛田の投球スタイルだった。盛田の才能を開花させた大洋の元監督・須藤豊はこう語る。

「盛田の武器はバッターの内角をえぐるようなシュート。中日の落合博満に死球を与えようが、顔色すら変えない強気の性格でした。でもマウンドを降りれば気の良い男で、誰からも愛されていた。解説者、指導者としてこれから本当に良い花が咲いていくはずだったのに、残念でなりませんね……」

出身地の北海道・鹿部町で行われた通夜と葬儀には、約400人が参列し別れを惜しんだ。