週刊現代
「民族とは何か?」船戸与一が死ぬまで突き詰めた根源的な問い
銃口を向けられ、強盗に襲われても…

闘病生活の中で書き上げた『満州国演義』

船戸与一さん(今年4月、胸腺がんで死去。享年71)は、節制とは無縁な人だったらしい。長年の友人である作家の志水辰夫さんが追悼文に、

〈食事制限も、飲酒制限もなしという、聞いたことがない肺ガンだった。/禁止されたのは煙草くらい。何万人にひとりという珍しい病気だった〉

そうだと記した上でこう語っている。

〈ひとたび飲みはじめると、余命1年を宣告されたガン患者に、だれもついて行けなかった。集まりがあるたび、最後は新宿に流れて腰を据え、午前3時か4時ごろまで飲みつづけるのがつねだった。明け方に散会したあとも、本人は荻窪へ帰ってさらに飲みつづけていた〉

そんな無茶な。死期を早めるだけじゃないか。と私は思うのだが、船戸さんは余命1年のところを6年も生き抜いた。

しかも、その間に『満州国演義』全9巻(新潮社刊)を完結させた。満州の荒野を颯爽と踏破して逝ったのである。その不羈奔放な生き方が私には眩しい。

早大探検部の後輩である作家の高野秀行さんは、船戸さんが亡くなる2週間前の様子を次のように述べる。

〈「医者によればそろそろ死ぬ頃なんだけどよ」とうそぶきながら、「現場に行かねえと小説がもっと書きたくなってくるな」と言っていた。「現場に行くと、ああ、この山はこんな感じなのかとかわかって“発散”できるんだけどよ、行けねえと発散できねえから自分で書きたくなるんだ」/死を目前に見据えてこんなことを話す人がこの世にどれだけいるだろうか〉

船戸さんは民族紛争の現場を歩きつづけてきた。その足跡は4大大陸の隅々に及ぶ。内戦最中のアフガニスタンで政府軍の銃撃を受け、戒厳令下のペルーでは対テロ特殊部隊に銃口を突きつけられた。ケープタウンで強盗に襲われたこともある。

そんな目に遭っても彼の旅は止まない。民族とは何か? 民族主義(ナショナリズム)とは何か? という根源的な問いと、虐げられた民族への思いが彼の心を離れなかったからだ。

小説家になる前の'77年に発表したノンフィクション『叛アメリカ史 隔離区からの風の証言』(ちくま文庫)の冒頭に船戸さんはこう書いている。

〈正史―教科書に書かれた歴史はみごとに首尾一貫している。強い者が勝つ。(略)勝った者は正しい。これが今日、歴史体系といわれているもの〉だと。

正史に対置して彼が掲げるのは叛史だ。〈叛史は正史の対極にある概念である。/叛史とは正史が設定した座標軸そのものをぶち壊すことを目的とした迎撃と侵攻のヴェクトルである〉

そう宣言した後で描かれるのは、白人に虐殺される米国の先住民族インディアンの運命であり、ブラック・ムスリムのマルコムXの抵抗であり、メキシコの革命家エミリアーノ・サパタの波乱の人生である。

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