目に見えぬものへの真摯な「祈り」にこの国は耳を傾けているか

【リレー読書日記・堀川惠子】
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目に見えぬものの大切さ

私の亡き曽祖父は、山人である。狩りの腕は村一番、眼鏡をかけたインテリ風の趣味人だったと聞く。

夜になると囲炉裏端に陣取って、私の父ら七人の孫に、山に伝わる怖い話を次々に語ってはきかせたという。その話があまりに真に迫っているものだから、幼い父は山の夜道に随分と怖い思いをしたらしい。

田中康弘著『山怪』を読んで、そんな話を思い出した。山深い部落に伝わる狐火、人魂、大蛇に狐憑きといった不思議な話や体験をまとめた本。昔話や民話のような“落ち”こそない短編ばかりだが、興味深い話が並ぶ。

山怪 山人が語る不思議な話』 田中康弘著 山と溪谷社/1200円

「山の怪異は間違いなく“静”である。慌てふためいて動き回るのは、実は人間だけなのだ」と著者が書くように、山人は、何物が潜むとも分からぬ闇に恐れを抱き、自然を敬ってきた。山怪の話には、自然をコントロールできると思いあがる人間への教訓もにじむ。

曽祖父、祖父、そして父が育った山の郷も跡継ぎが絶え、今や野に返ろうとしている。山怪の話はやがて消えていくだろうという著者の言葉は、現実のものだ。

確かに、小さいころは心の中に空想の世界が広がっていた。座敷童は本当にいると信じていたし、お寺のエンマ様の絵に、数々の嘘を真剣に懺悔したこともある。

目に見えるものしか信じなくなったのは、いつからだろう。成果を出すことに追われ、迷信や宗教など笑い飛ばした時期もあった。それが人生に失敗をし、裏切られ、それでも奇跡のような出会いに恵まれながら歳を重ねてくると、再び、目に見えぬものの大切さを肌身に感じるようになってくるから不思議なものだ。

信仰を持つ人を羨ましく思う時もある。苦しい時、どこか別の世界に救われる場があれば少しは楽だろうし、理屈では説明のつかぬ何かに心から祈りを捧げることのできる精神のありようは、やはり尊いと思う。

高山文彦著『ふたり 皇后美智子と石牟礼道子』は、「祈り」というキーワードに貫かれた物語だ。

舞台は2013年秋、両陛下の水俣訪問。この日、数々の異例の出来事が起きた。非公式とされた水俣病患者との面会を、両陛下から明らかにされたり、渡せぬはずの患者の願いを込めた手製の品がお手に届いたりした。その舞台裏を、作家の石牟礼道子さんら関係者の証言と水俣病の長い闘争の歴史から読み解いていくのが本書である。

ふたり皇后美智子と石牟礼道子』 高山文彦著 講談社/1700円

美智子皇后は、石牟礼道子さんの著作を読み、直に面会もして水俣病について学ばれてきた。高度経済成長の犠牲として苦しみ抜いた人たちに出来ることは何か、考えてこられた。患者の苦しみに寄り添い、心から快癒を祈る。両陛下が現地で示された行動、残された言葉は、関係者の胸を深く打ったという。

水俣病の「公式確認」から今年で59年、新規の患者は増え続けている。両陛下と患者との感動的な邂逅が、実は政治的に利用された可能性も本書は否定しない。

水俣病を巡る「国家」の冷淡さと、「象徴」による真摯な祈り。両者のふるまいの落差に、割り切れぬ読後感が残る。現実の苦しみが深ければ深いほど、祈りの世界は輝きを増すのだろうか。