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【クルマ界歴史の証人】元ホンダ副社長初代オデッセイ開発責任者 小田垣邦道PART3
初代オデッセイ誕生秘話
日本では1966~1968年にかけて放送されたSFドラマ「宇宙家族ロビンソン」(原題はロストインスペース)。劇中、登場する宇宙探険車「チャリオット」が初代オデッセイのヒントに

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自動車業界およびモータースポーツの勃興期に活躍され、多大な功績を収めた先輩方に語っていただく本企画。

小田垣邦道氏の3回目は来たるべきミニバン時代を先見し、日本国内でのミニバン開発を継続し、紆余曲折を経て初代オデッセイが誕生するまでを証言していただく。

今回の証人・小田垣邦道とは?

東京21世紀倶楽部の会員として多くの会員と情報交換。今回の取材も21世紀倶楽部で行われた

1951年、兵庫県豊岡市生まれ。兵庫県立姫路工業大学卒業後、叔父が役員をしていた社員200名ほどの地元企業、王子精機(株)に入社。

その後、'77年の本田技術研究所のエンジニア募集に応募し、中途入社。'78年発表の初代プレリュード、アクティバンなどのボディ部品の設計などを行いながら"修業時代"を過ごす。

'80年登場の2代目スーパーシビックでは4ドアセダンのトランク部分の設計を担当。これを皮切りにシティ、ワンダーシビック、アコード、CR-X、レジェンドなどのボディ設計に携わる。'88年に主任研究員となり、開発責任者(LPL)としてミニバンブームの火付け役、初代オデッセイを開発。

'95年同社のエグゼクティブチーフエンジニアとなり、'05年には取締役副社長に就任。'07年にはホンダから·ケーヒンの代表取締役副社長に転じ、翌年に代表取締役社長に就任。同社の改革を断行し、リーマンショック以降の業績不振から脱却させた。

'11年、ケーヒン退任後は起業家のコミュニティである「東京21世紀クラブ」会員となる。講演をはじめ、大学教授など異業種のメンバーを対象とした私塾を東京と大阪で開催している。

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