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白い巨塔・大学病院「出世の階段」に「医者の実力」は関係ない?

楽をするほどカネが儲かる医療界の真実
〔PHOTO〕gettyimages

患者にとって、医師はときに「神」のように輝いて見える。教授という肩書がつけばなおさらだ。だが、肩書が命を救ってくれるとは限らない—医師としての「実力」は「階級」に比例するのか?

メスを握った教授の冷や汗

「教授が明らかに緊張しているのがわかりました。いつもはエラそうにふんぞり返っているのに、この時ばかりは冷や汗が止まらないようでした。途中で出血量が増えてきたので、別の若い医師に交代し、あとは教授は心配そうに横から見ているだけでした」

こう語るのは、関西の国立大学附属病院に勤める麻酔科医だ。彼は、ベテランの外科教授の行う開腹手術に立ち会った際、教授が自身の手術の力量に自信を持っていないことを如実に感じたという。

「手術を受けた患者さんの家族に『どうしても教授に執刀してほしい』と懇願されたそうです。しかし、この教授はそもそも研究畑の人で手術が得意ではないし、数もこなしてこなかった。50歳を超えていて反射神経も鈍っている。

それでも教授がまったく手術ができないとなると、病院の評判にかかわることになるので、しかたなく若くて器用な医師をつけて、体面上は教授が手術をしたということにし、患者さんに納得してもらったのです」

実は、大学病院ではこのようなケースが珍しくないという。病院の事情に詳しくない患者は、医者の階級がその実力に直結していると考えがちだからだ。

「とくに、東大病院や慶應病院といった病院名のブランドに惹かれて入院してくる患者さんやその家族に、そういう人が多いですね。助教や講師といった若い医師には見向きもせず、とにかく教授という肩書のついている人に診てもらいたがる。『うちは東大病院で、しかもエラい教授に診てもらった』ということに安心感を抱くのでしょうが、それが賢い受診のしかたかどうかは別問題なのです」(前出の麻酔科医)

医者の「実力」とその「肩書」は必ずしも比例関係にあるわけではない。研究活動を主体にしている大学病院の場合はなおさらだ。