教育すると、人間は「弱く」なる! 各界から大注目の武術家・光岡英稔が明かす「強さ」のヒミツ

独占・最強インタビュー(1)
光岡英稔, 尹雄大

日本に戻ってきて味わったカルチャーギャップ

−−カリフォルニアで何年暮らしたのですか?

4年ですね。小学校6年生の終わりくらいに再び日本へ戻りました。両親とも気まぐれで、母の「そろそろ日本に戻りたい」の一言で決まりました。

こうしてまた岡山での生活が始まったのですが、こんどはカルチャーギャップで父がホームシックになり、一時期は「帰りたい」としきりに言っていました。

−−光岡さん自身もカルチャーギャップを感じたのでは?

そうですね。ぜんぜんついていけなかったですね。

自転車に乗るときにヘルメットを被らないといけないとか、制服のホックは上まで留めなければいけないとか……。いちばん訳がわからなかったのは、先輩後輩の「上下関係」でした。アメリカではあり得なかった。だから「そんなこと関係ない。同じ人間なんだから」みたいなことを言っていたら、上級生の不良に絡まれました。

不良にとって先輩後輩の関係は大事みたいで、気に障ったんでしょう。最初は「偉そうにしやがって」と絡まれていたのですが、そのうち「ところでアメリカってどんなところなん?」「やっぱり金髪のお姉さんはすごいんか?」とか、そういう話になりました(笑)。

撮影:講談社写真部

根はシンプルな人たちなので、最終的には「おまえ、おもしろいな。悪いやつにからまれたら俺らに言えよ」と言って去っていきましたね。

−−その当時は、もう武術をしていたのですか?

中学生になってから家の近くにあった道場で空手を始めました。最初は学校の部活をしていなかったのですが、「どうも突いたり蹴るだけではダメだ。組み技や投げ技、関節技も知っておかなければ」と思うようになり、柔道部に入りました。

さらに高校では部活で空手を稽古するかたわら、岡山に伝わる古流の柔術「竹内流」や新陰流、大東流合気柔術、中国武術などを習い始めました。打ち方、投げ方、極め方、武具を持っての切り方、突き方、刺し方。強くなるためにはひとつひとつ学んでいかないといけない。そう思ってのことでした。

でも、いま考えると何に向かっていたのかわかりませんね。達人の領域への憧れはあっても、あまりにも実力と逸話がかけ離れすぎていました。とりあえずどんな状況でも対応できるような強さににじり寄っていくしかないと思っていました。

ただ、振り返って思うのは、あるルールの中で勝ち負けを競うといった、スポーツとしての武道で得られる強さを目指していたわけではなかったということです。