−−今回のインタビューでは「強さとはどういうことか?」についてお尋ねしたいと思います。
思想家で合気道家でもある内田樹さんは、光岡さんのことを「先生」と呼んでいます。古武術家の甲野善紀さんも、光岡さんのことを高く評価されていますね。あるいは、精神科医や宗教家からも一目置かれるなど、光岡さんが体現している「強さ」は、いわゆる競技化された現代武道をはみ出たものだと思います。
その強さとはいったい何なのか? その根底にある身体観はどのようなものか? なぜそのような考え方に至ったのか? まずは生い立ちから教えていただけますか。
1972年に岡山で生まれました。同世代なら共感してくれると思いますが、私が子供の頃にブルース・リーのカンフー映画が流行していました。その影響を受け、武術に憧れを抱くようになりました。
かといって、そこから武術にまっしぐらに進んだわけではありません。7歳のときに日本から義父の住むカリフォルニアへ移住したからです。
70年代の日本の経済成長は著しいものがありました。そこから経済大国のアメリカに移ったのだから、さぞ便利な暮らしをしたのだろうと思うかもしれません。しかし、その恩恵を被ることはありませんでした。私たち家族が住み始めたのは隣家まで歩いて2時間という山の頂きだったからです。
家も自分たちでつくる。当然、電気はなくて、明かりは石油ランプのみ。水道も引かれておらず、麓まで1キロ下りて泉で水を汲み、洗濯はそこで行う。そんな暮らしが始まったんです。
当初は混乱しました。これまでスイッチを押せば電気がつき、洗濯も自動的に行ってくれる暮らしから、すべて自分の体を使わない限り、何も始まらない生活になったのですから。
−−義理のお父さんは世代的にはヒッピームーブメントの体験者ですよね。その影響でしょうか。
そういうわけではなさそうです。ただ、自分の力でどれだけのことができるかを試したいようでした。
義父はベトナム戦争時代、海兵隊員に服務し、ウェザー・アブザーバーのウォッチ・リーダーを務めました。天候を確認しながら戦闘機や輸送機を出動できるルートを知らせる任務です。そのときはアメリカのために命を捧げる考えだったそうです。
ベトナム戦争後、政府の施策を疑問に思い、私が会った頃には反戦平和運動や反原発運動にも共感を示しており、そのような活動に関わるようになっていました。
−−ソローのような森の生活は、大人にとっては楽しいかもしれません。
日本での生活とのギャップに驚きはしましたが、きつかったわけではありません。そのうち山を駆け巡ったりすることに楽しさを覚えるようになりました。周囲には、マウンテンライオンや山猫、鹿、ウサギ、イノシシがいましたね。
唯一不満があったといえば、テレビがないことでした。仮面ライダーが見たかった(笑)。
学校では数ヵ月英語の基礎を習った後は、クラスに放り込まれました。まったく話せないし、コミュニケーションがとれない。そのせいでよく喧嘩していました。お互い言いたいことが伝わらないというジリジリした思いがあったのだと思います。