太平洋戦争末期の激戦地「硫黄島」で考えたこと
悲劇を噛み締め、未来への一歩を!
太平洋戦争末期の激戦地・硫黄島 〔photo〕gettyimages

硫黄島を訪ねて

10月15日、硫黄島を訪ねた。戦後70周年にあたって、戦没者を慰霊するためである。都知事が追悼式典に参加するのは、19年ぶりのことだった。

太平洋戦争末期に激しい戦闘が繰り広げられた硫黄島は、死者、日本軍2万余、米軍6800余と、日米双方で5万人近くにものぼる死傷者を出した悲劇の島である。

東京から1000km以上も南に位置するこの島に、民間機をチャーターして、約60名の遺族と共に2時間の飛行で到着した。30度近い高温と多湿の中で、追悼式典が厳粛に執り行われた。

その後、皆で戦跡を視察した。火山の島で、硫黄ガスが噴出し、地熱でむせ返るような過酷な自然の中で、生活に必要な水は雨頼みである。吹き出す汗をぬぐいながら、70年前の戦闘を想像し、胸が潰れる思いであった。照りつける太陽に体中が火照り、悲しい歴史に心が塞がり、夜も容易には寝付けなかった。

この厳しい自然の硫黄島に駐屯し、太平洋の平和と安全を守っている自衛隊員のご苦労には頭が下がる思いである。今の平和は、戦火に散った多くの方々の犠牲の上に成り立っていることを忘れてはならない。

一度でも戦場に立った者は、平和が抽象的な概念ではなく、具体的なものであることを理解する。カンボジアで、またイラクで、いつ命を失うか分からないような状況に置かれて、はじめて私はそのことを理解した。多くの若者に、硫黄島を訪ねてもらい、戦争の悲惨さを実感してもらいたい。

現在私たちが享受している平和と繁栄を未来にわたって守り抜くためには、政治指導者が明確なヴィジョンを持って、国民を導いていかなければならない。

2020年には、平和の祭典であるオリンピック・パラリンピック東京大会が開かれる。戦争ではなく、スポーツで諸国民が競い合うことが、復活した近代オリンピックの目的である。何としても、5年後の東京大会を成功に導き、史上最高の大会にせねばならない。

都庁を訪れたボリス・ジョンソン ロンドン市長と(都庁ホームーページより)
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