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【クルマ界歴史の証人】
初代オデッセイ開発責任者 
元ホンダ副社長・小田垣邦道 PART1

機械好きの父が自ら機械編みしたセーターなどを着込んで当時としては高価なペダルカーで得意げにポーズ。幼心に「クルマに乗れば女性にモテる」と感じていたんだと思い出話を披露

自動車業界およびモータースポーツの勃興期に活躍され、多大な功績を収めた先輩方に語っていただく本企画。今回から初代オデッセイの開発責任者を務めた小田垣邦道さんの証言が始まります。オデッセイ開発以前、熱血のホンダマンとして動き出したところまでを紹介します。

今回の証人小田垣邦道とは?

現在、講演や大学教授など異業種のメンバーを対象とした私塾を東京と大阪で開催し、多忙な毎日を送っている

1951年、兵庫県豊岡市生まれ。兵庫県立姫路工業大学卒業後、叔父が役員をしていた社員200名ほどの地元企業、王子精機(株)に入社。

その後、'77年の本田技術研究所のエンジニア募集に応募し、中途入社。'78年発表の初代プレリュード、アクティバンなどのボディ部品の設計などを行いながら"修業時代"を過ごす。

'80年登場の2代目スーパーシビックでは4ドアセダンのトランク部分の設計を担当。これを皮切りにシティ、ワンダーシビック、アコード、CR-X、レジェンドなどのボディ設計に携わる。

'88年に主任研究員となり、開発責任者(LPL)としてミニバンブームの火付け役、初代オデッセイを開発。'95年同社のエグゼクティブチーフエンジニアとなり、'05年には取締役副社長に就任。

'07年にはホンダから·ケーヒンの代表取締役副社長に転じ、翌年に代表取締役社長に就任。同社の改革を断行し、リーマンショック以降の業績不振から脱却させた。

'11年、ケーヒン退任後は起業家のコミュニティである「東京21世紀クラブ」会員となる。講演をはじめ、大学教授など異業種のメンバーを対象とした私塾を東京と大阪で開催している。

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