なぜ人は切られた首に魅了されるのか?
~「斬首」から見た近代史

【書評】フランシス・ラーソン・著 矢野真千子・訳『首切りの歴史』/評者 清水克行
〔PHOTO〕gettyimages

「首切り」といえば、日本史上では、源平合戦の時代や戦国時代に、軍功の証しとして戦場のそこかしこで行われていたことは、よく知られている。あるいは、南米の首狩り族のこしらえた、ブキミな干し首などを連想する人もいるかもしれない。

そんなイメージから、本書に「未開」社会や「前近代」社会のおぞましい習俗のさまざまが描かれているかと思うと、その予断は大きく裏切られる。

なぜなら、本書で「首切り」をしている人たちは、そのほとんどが19世紀以降の欧米に生きた、れっきとした「近代」人なのである。

人類学者である著者は、さまざまな文献を渉猟し、太平洋戦争の戦場や衆人環視の処刑場や解剖実験室などで、「文明」人がいかに「科学」や「政治」の美名のもとに「首切り」に熱中していたのかを暴きだす。

それまでアマゾンやニュージーランドの先住民たちが一定の規範のもとで作っていた干し首は、欧米人たちの科学研究の材料として「商品価値」があたえられるや、たちまち「注文生産」されるようになり、乱造されてゆく。

反逆者のギロチン首は、人目につく場所にいつまでも晒されることでこそ、市民への戒めとなり、国家の威信を保つことにもなった。そのために、彼らはいちど首を「湯通し」すると腐敗しないことを発見する。

はたまた、脳に人格の謎を解くカギがあるとする新しい「科学」は、怪しげな骨相学の隆盛を呼び起こし、権威ある公共博物館にも頭蓋骨収集ブームを巻き起こす。それは、さながら「頭蓋骨フィーバー」だったという。

こうした逸話の数々に触れると、つくづく思う。「科学」の発達は、かならずしも迷信の払拭や合理性の成熟に帰結しない。「科学」という衣装をまとって、また新たなフェティシズムや「信仰」が作り出されていくのだ、と。

不変の価値と思える「人間の尊厳」や「倫理」すらも、いかに歴史のなかで移ろいゆくものなのか。このことを、本書は「首切り」という素材を通じて教えてくれる。

しみず・かつゆき/専門は日本中世史。NHK「タイムスクープハンター」等の時代考証も担当。『耳鼻削ぎの日本史』他

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『首切りの歴史』
フランシス・ラーソン・著 矢野真千子・訳者
河出書房新社/3200円

なぜ人は斬られた首に魅了されるのか?見せしめ、コレクション、科学や芸術、崇拝の対象…。驚愕のエピソード満載の異色歴史ノンフィクション!

やの・まちこ(訳者)/英国生まれの女性人類学者。'04年にオックスフォード大学で博士号を取得し、現在は同大学名誉研究員

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『週刊現代』2015年10月17日号より