捕鯨集団の棟梁を継いだ若者が立ち向かう試練とは?
長編小説で描く男の「覚悟」

伊東潤著『鯨分限』/評者 細谷正充
〔PHOTO〕gettyimages

重厚な歴史小説の書き手として知られる伊東潤には、こだわりの題材が幾つかある。そのひとつが“鯨”だ。

2010年の短篇「鯨のくる城」で早くも鯨への関心を示した作者は、13年に刊行した短篇集『巨鯨の海』で、本格的に鯨と取り組む。紀伊半島の捕鯨の村“太地”の、江戸から明治への流れを、短篇六作で描き切った秀作だ。本書は、そんな作者が、再び鯨に挑んだ長篇である。

主人公は太地の捕鯨集団「太地鯨組」の棟梁・太地覚吾だ。

天保4年、太地家の長男として、覚吾は生まれた。鯨分限といわれた太地家だが、長引く不漁により、家産は傾いている。さらに父親の死により、彼は17歳の若さで家督を継ぐことになった。その後、袖振り合った女性を助けようと、大坂を経て江戸まで行った覚吾。目的を果たすことは出来なかったが、商人の新八と知り合い、蝦夷地の捕鯨に目を向ける。だが、激動の時代が彼に、苦難の道を歩ませるのだった。

名は体を表すというが、本書の場合、名はテーマを表すといえるだろう。なにしろ主人公の名前が覚吾である。

若くして「太地鯨組」の棟梁となった覚吾は、太地の鯨漁を何とかしようと奔走する。しかし、彼を襲う試練は絶えない。地震による大津波。維新の混乱による蝦夷地での鯨漁の挫折。資金調達の失敗。そして“大背美流れ”と呼ばれる、鯨漁中の大量遭難。資金調達こそ覚吾のミスだが、それ以外は不可抗力といっていい。死のうと思ったほどの絶望から何度も立ち上がってきた覚吾も、遂には刀折れ矢尽きるのだ。

それでも彼は倒れない。敢然と数々の試練に立ち向かった彼は、最期まで己の人生を全うしたのだ。ああ、心の奥に覚悟を抱えた人間は、これほど強く生きられるのか。こんなにも魅力的なのか。その雄々しき覚吾の肖像に、胸が熱くなる。

また、黒船来航や第二次長州征伐など、覚吾と史実の絡ませ方も見事なもの。特異な共同体を通じて見た、幕末・明治の歴史も、本書の読みどころなのだ。
 

ほそや・まさみつ / 書店員などを経て、時代小説、ミステリー評論家、編集者として活躍。『必殺技の戦後史』他

鯨分限
著者=伊東潤(光文社、税込み1,836円)

紀州・太地の捕鯨集団「太地鯨組」の若き棟梁、太地覚吾。斜陽の村を救うべく、日本全国を駆け巡る。だが、維新により根底から激変する国の有り様が、未曾有の海難事故「大背美流れ」が、さまざまな困難が、奮闘する覚吾を襲う---。

いとう・じゅん/'60年生まれ。'03年『戦国関東血風録』でデビュー。'13年『巨鯨の海』で山田風太郎賞受賞。『峠越え』他多数

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『週刊現代』2015年10月17日号より