人はなぜ「カリスマ」に惹かれるのか? 
「普通の人」が抱く欲望の恐ろしさを描く話題作

【書評】星野智幸・著『呪文』/評者 陣野俊史
〔image〕iStock

小説の舞台「松保商店街」は、人気のある賑やかな商店街に隣接しているものの、寂れていく一方。日本のどこにでもある商店街だ。

そんな場所にメキシコ料理トルタの専門店を出したのが、主人公の霧生。苦しい経営が続く。

ある日、同じ商店街の居酒屋「麦ばたけ」で小さなトラブルが起こる。クレーマーに等しい客が当該の居酒屋だけではなく、商店街全体を貶める誹謗中傷の言葉をブログに掲載したのだ。商店街は対策を迫られる。

と、序盤のあらすじを説明すると、大半の読者は、悪意あるブログに触発されたネットユーザーたちと地味な商店街の若者たちとの戦いだと思うだろう。

予想はあっけないくらい見事に裏切られる。

「麦ばたけ」の店主・図領は、クレーマーを論破するばかりか、自警団「未来系」を組織し、カリスマ化する。商店街の活性化のため、融資制度を確立し、廃業する店を立て直す斬新なアイデアを打ち出す。それをどこか冷やかに眺めていた霧生は、自警団と反目してしまう……。

たとえば悪意ある中傷をネットに流した側と、被害を受けた側という対立構図なら、理解しやすい。しかし、現実にはそう簡単ではない。

善と悪との境界線がくっきりと見えるような社会に、私たちは生きていない。強烈な個性が出現すればひきずられ、判断を停止し、思いも寄らない集団に飲み込まれることが頻繁にある。

図領は、自警団を組織する栗木田と結託し、社会の片隅に生きている人々を「クズ」と呼ぶことで、「覚醒」させる。目覚めた人々は自死することを願う。

星野智幸という作家が信頼できるのは、誰が正義で誰がそうではないかを明示したりしないからだ。

カリスマ的な人物に惹かれるのは、私たちが、過剰な、突出した何かを心のどこかで常に求めているからであり、そこに葛藤が生まれる。こんな心のありようを、霧生という主人公がそっくり抱えている。霧生は私たち読者そのものなのである。

なかなかの腕を持ちながらトルタの店を繁盛させることもできず、商店街の若者たちの排他的組織に積極的に加担もできない。悩みながら、ためらっている。

しかし、ためらって考え続けることでしか、私たちは生きられない。星野はそう語っている。

それにしても、この小説を読むと、トルタ、むしょうに食べたくなる。

じんの・としふみ/'61年生まれ。専門のフランス文学の他、音楽・フットボール批評も行う。『サッカーと人種差別』など

『呪文』
星野智幸・著 河出書房新社/1500円

寂れゆく松保商店街に現れた若きリーダー図領。悪意に満ちたクレーマーの撃退を手始めに、彼は商店街の大改革に着手した。廃業店へ若い働き手を斡旋し、融資制度を立ち上げ、さらには街の自警団「未来系」が組織される。ほのかに希望の光が差しはじめた商店街に、誰もが喜ばずにはいられなかったのだが…。雑誌掲載時より話題沸騰、著者最高傑作


ほしの・ともゆき/'65年生まれ。'97年「最後の吐息」で文藝賞を受賞しデビュー。'11年『俺俺』で大江健三郎賞を受賞

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『週刊現代』2015年10月17日号より