【リレー読書日記・堀川惠子】
「水俣病闘争」「核保有」「ヒロシマ原爆」
〜当事者のみ持つ情報と執念に触れる3冊

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10年前、初めて書いた本を担当してくれた編集者のKさんが退職すると聞き、先日、久しぶりにお会いした。約40年の間に世に出した書籍は数知れず、まさにこの道のプロである。

勤め人であれば誰にでも必ず訪れる、退職の日。「やりたいことはやった」と悔いなく終われる幸せ者は決して多くないだろう。だがKさんは、その稀な一人かもしれない。編集者人生で最大といえる仕事が、最後の仕事となったのだから。

その本とは、岡本達明著『水俣病の民衆史』。分厚い全六巻、3772頁の超大作だ。著者の岡本さんは80歳。既に水俣病について著作があり、Kさんとのコンビで権威ある賞も受賞した。それが数年前、「もう少しの原稿がまとまりつつある」と。こんな大作になろうとは想像もしなかったKさん、退職間際、膨大な索引作りに(嬉しい?)悲鳴をあげたという。

それにしてもこの著作、本当に脱帽ものだ。岡本さんは東大卒業後にチッソに入社、縁もゆかりもない水俣工場に行ったのは、日本近代の歴史を地方の「村」に見てみたいという動機から。そこで偶然、水俣病と出会い、組合の委員長を務めながら被害者の救済に奔走した異色の経歴だ。

未公開の資料を駆使し、地域の生の証言を半世紀にわたって収集、公害闘争の全体像をまとめあげた。舞台こそ水俣だが、岡本さんの全著作には、明治から始まる国家の営みが描かれ、最終巻は過疎の問題へと繋がる。まさに普遍的なテーマに着地した。水俣病の全体像は、百年先も詳細な歴史が残るだろう。果たして福島の原発事故に、こんな著作は現れるだろうか。

ところで、私たち書き手は常に〈第三者的〉な立ち位置にいる。岡本さんのように、〈当事者〉として現場にいた人が書く本には、情報量でとても太刀打ちできない。冨澤暉著『逆説の軍事論』もそうだ。著者は77歳。防衛大卒の元自衛隊幹部で、日本の防衛問題に職業人生を捧げた人である。

とかく左右に二極分化されがちなテーマだが、この本は、自分と異なる視点からも情報を得ることの大切さを教えてくれる。幾つかの点で、目から鱗が落ちた。

「左翼の夢想と右翼の妄想を排したリアル軍事論」と銘打ち、現在の日本の軍事力を冷静に分析し、世界規模の集団安全保障体制に参画していく重要性を力説。そのためにも軍事力の充実は不可欠という。

本書を読めば、先の安保法案国会で「集団安全保障」と「集団的自衛権」の問題がいかにゴチャまぜに議論され、日米の問題にばかり矮小化されていたかがよく分かる。