いま、江戸を舞台に小児医を描く意味
〜土地と時代のリアリティをどう追求するか

インタビュー「書いたのは私です」朝井まかて
『藪医 ふらここ堂』著者の朝井まかてさん

万能感を持たない医者が主人公

―この小説の中心人物、江戸・神田の三河町で小児医を開業する天野三哲は、「面倒臭ぇ」が口癖の、近所でも有名な藪医者です。なぜ江戸を舞台に、子供専門の医者を描こうと思ったのですか?

じつは三哲は、江戸時代に実在した小児医なんです。2年程前、国立公文書館を訪れたときに、「藪で知られた町医者が、城の奥医師に召し抱えられて大出世」と書かれている資料と出会いました。

わずか数行の記述でしたが、とても印象的でした。そこから、厄介な患者からはすぐ逃げる、薬もあまり出さない、「医者のやれることなんざ、たかが知れてる」とうそぶく、藪医の姿が浮かんだんです。いわゆる“万能感”を持っていない医者ですね。

―藪医者の三哲が、武家の子供の熱病や、教育ママとその娘の心の病の原因を正しく診立て、治していくのが痛快です。

三哲の治療法は、「子供は、少々の病気なら薬を飲ませず、風日にさらし、思う存分遊ばせるのがいい」というもの。小児医ですが、子供の症状によっては母親も診る。これは今にも伝わる「母子同服」と呼ばれる漢方の考え方で、家族など人的環境から病を捉えて治療に臨むわけです。

江戸時代は子供の致死率が高いゆえに、庶民は「七歳までは神のうち」と言って、それは大切に育てました。生まれてきたこの世との縁を作ってやるためにご近所にもお披露目をして、祝餅を配ったりしたわけですね。

将軍家でも、幼少期の致死率が非常に高かったことが記録からもわかります。それは、医師や周りの人間が腫れ物に触るように扱って、つまり過保護にし過ぎて、幼少期に必要な運動や他者とのかかわり、多様な体験をシャットアウトしていたからではないかと思います。

―当時は名乗れば誰でも医者になれたので、インチキな治療をする人もいたそうですね。

ええ、「他にやれることがないから、医者にでもなるか」という動機でしたから(笑)、本物の藪医者が多かったでしょうね。

ですから江戸時代も中期以降になると、薬が非常に発達しました。つまり現代の日本人の薬好きは、かなり年季が入っているんです。