江戸時代のはじめ、九州の雄・黒田藩にお家騒動が巻き起こる。旧臣の智恵と幕府の思惑、キリスト教が絡み合う歴史長編
インタビュー「書いたのは私です」葉室麟
鬼神の如く 黒田叛臣伝』著者の葉室麟氏

黒田騒動の謎

豊臣秀吉の軍師として知られた黒田官兵衛の流れを汲む福岡藩。その福岡藩に「謀叛の疑いあり」との密告を受けた長崎奉行の竹中采女正は、“杖術”の使い手・夢想権之助の弟子である卓馬・舞兄妹を「間者」(密偵)として黒田藩重臣・栗山大膳のもとに送り込む―。江戸時代初期に勃発した“黒田騒動”に材を取った時代小説です。

以前から、黒田騒動については腑に落ちない点があったんです。あの騒動は、家老の栗山大膳が、主君である黒田忠之に謀叛の動きがあると幕府に訴え出るという大事件でした。

時の将軍・家光は徳川の支配体制を盤石にするために、有力な藩は理由を付けて取り潰したいと狙っていました。家老が主君を訴えるなどという不祥事があれば、黒田家は廃絶されてもおかしくはなかった。

ところが黒田家は存続が許され、主君を訴えた大膳も、盛岡藩にお預けという極めて軽い処分で済まされている。一方で、大膳の訴えを受理した采女正は、密貿易をしたとの咎を受けて切腹を命じられています。なぜこのような沙汰が下ったのかを考えるうちに、この物語が浮かんできたんです。

物語の中心となる大膳は、黒田官兵衛に仕えた“黒田二十四騎”に数えられる栗山善助(利安)の子。官兵衛の孫にあたるとはいえ、まだ若く、勝手気ままに振る舞う当主の忠之に対し、大膳は折にふれて諫言します。

あの時代の大名家というのは、殿様が成り上がったのは、仲間である家臣の協力があったからこそという意識が強く残っていました。ですから、功績のある家柄の家臣は、殿様に対しても遠慮なく苦言を呈し、聞き入れられなければ他藩に移るということも普通でした。

忠之は口うるさい大膳を遠ざける一方で、自身が家老に取り立てた倉八十太夫を重用します。

現代の企業に当てはめれば、世襲した坊ちゃん社長が古参の重役から説教ばかりされて面白くないと思い、自分で側近を選ぶのと同じですね。

十太夫は「忠義は殿のみに捧げるもの」と考えています。江戸時代でも朱子学が入ってきた中期以降であれば、「お家のために」という考え方が主流になりますが、まだ戦乱の空気を残し、いつ寝首を掻かれるかわからないこの時代だと、殿様は家というより、自分個人に忠誠を尽くしてくれる家臣が必要でした。戦国時代の大名と家臣が男色で繋がったのも、個人的な信頼関係が求められた面があります。

忠之は十太夫を重用しますが、特定の家臣だけを優遇すれば他の家来には不満が生まれる。黒田騒動が起こった背景には、十太夫の存在も大きかったと思います。