大阪府警・暴力担当刑事の捜査ファイル
山口組・高山清司若頭の裁判秘録を公開する!(前篇)

森 功

恐喝事件の中身

高山の恐喝事件は、山口組が五代目組長の渡辺芳則体制から六代目組長の司忍体制に移行する過程で起きた。

被害者の上田藤兵衛は京都の同和被差別部落解放の運動家として知られる一方、建設業を手掛け、山口組五代目組長の渡辺や京都を根城にしてきた会津小鉄会元会長の高山登久太郎など裏社会の知己も多い。山口組中野会と会津小鉄会が、古都の覇権をめぐり衝突してきた様も間近で見てきた。

「本件は指定暴力団六代目山口組若頭、二代目弘道会会長である被告人高山清司が土木建設業を営む株式会社若藤の実質経営者等である上田藤兵衛から、その関連企業等が受注する土木建設工業等に関し、みかじめ料名目に金員を騙し取ろうと企て、山口組二代目弘道会淡海一家総長である高山誠賢こと高山義友希、淡海一家相談役である西田幸市こと西田弘一、淡海一家関係者である東原英明こと鄭英明らと共謀の上……

平成十七(二〇〇五)年七月三十日から平成十八年八月初旬ごろまでのあいだ、上田を脅迫して金員の交付を要求し、平成十七年十二月三十日、平成十八年八月九日および同年十二月十八日の三回にわたり、上田から現金合計四千万円の交付を受けた恐喝の事案である……」

裁判長の指示を受け、論告求刑を朗読する検察官の舌が、ものすごいスピードで回り始めた。刑事事件では、検察側、弁護側ともに公判における持ち時間があらかじめ定められている。検察官は限られた時間のなか、できる限り多くの主張をしようと、分厚い論告求刑を早口で読み上げていく。傍聴席はその一言一句を聞き逃さないよう、静まり返った。

事件のあった〇五年当時、高山登久太郎の長男である義友希の率いる淡海一家は、会津小鉄会ではなく、若頭の高山が会長を務める弘道会傘下に入り、山口組の三次団体になっていた。西田はその淡海一家の相談役であり、恐喝事件における実行犯に位置付けられている。

「同(二〇〇五)年七月三十日、京都東急ホテルで上田は西田らと会い、同人から『わしは義友希の兄弟分で、兄弟分にさせたんは(父親で元会津小鉄会会長の)高山登久太郎や。高山義友希の仕事をやっている。後見人にもなっている』などと言われたうえ、『わしがやっている仕事をお前がつぶした。わしの利益をとった。

本来、命もらわなあかん話やけど、関係者もおるし取った分の利益を持って来い。三億円払え、これ払わんかったら命とる』などと、滋賀県の日野町の清掃現場の仕事の件で脅され、金を要求された。その際、西田といっしょにいた若い衆三人は上着の内ポケットに手を入れて拳銃を持っているような素振りをしていたため、上田は殺されるのではないかと恐怖を感じた」

論告求刑文を読み上げながら、検察官が生々しい恐喝現場を再現していく。恐喝の被害者と位置付ける上田の心情を次のように代弁した。

「(上田は)山口組では五代目が引退して弘道会が主流になったのであるから、企業舎弟として暴力団の配下に入るようにと言っているものと理解した」

上田藤兵衛は、金銭の要求を迫られた淡海一家の後ろに控えている山口組ナンバーツーの高山清司を恐れたという。そこで、山口組ナンバースリーの総本部長、入江禎(二代目宅見組組長)を頼り、仲裁に入ってもらうよう相談をした、と検察官はことの経緯を説明していった。