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【直木賞受賞 特別寄稿】東山彰良「シルヴェスター・スタローンの成功ストーリーに学ぶ5つの人生教訓」
~『ロッキー』と『流』には共通点しかない
〔PHOTO〕gettyimages

直木賞受賞 特別寄稿
「ロッキーによろしく」

(文・東山彰良/作家)

3日で脚本を書き上げた

シルヴェスター・スタローンの『ロッキー』が日本で公開されたのは一九七七年のことである。

1946年生まれのスタローンは、このとき30歳。ウィキペディアでちょっと調べたところでは、それ以前にも“The Party at Kitty and Studʼs”(子猫と種馬のパーティ)というポルノ映画や、“No Place to Hide”(隠れ場無し)というコメディ映画などに主演している。が、まずもってだれも知らないだろう。すくなくとも、わたしは知らない。

ともあれ、銀幕での成功を夢見ていた彼は、極貧生活を食いつなぐために長らくポルノ映画やボディーガードなどをこなして日銭を稼いでいた。しかし顔面麻痺による演技力の限界や、あまりにもシチリア人的な風貌のために、オーディションに落ち続けたという。転機となったのは『ブルックリンの青春』という映画だった。この作品に出演したスタローンの演技が、評論家の目にとまったのである。

さあ、運が向いてきたぞ。

妻と愛犬を連れてニューヨークからハリウッドへ移り住んだスタローンは、1975年に観戦したボクシングの世界ヘビー級タイトルマッチ、モハメド・アリ対チャック・ウェプナーの試合で宿命的な天啓を受ける。スライ(スタローンの渾名)よ、そなたがいま目にしたもの、感じたことをそなたの人生になぞらえてそのまま脚本に書き起こすがよい。雲の上におわす方のそんな声が聞こえたかどうかは定かではないが、スタローンはその試合をヒントに、なんとたったの3日で脚本を1本書き上げてしまったのだった。

これこそが、そう、『ロッキー』だったのである。この脚本をいたくお気に召した映画会社はロバート・レッドフォードなどの大スターで映画を撮ろうとしたのだが、スタローンは自分を主役に抜擢しないかぎり脚本は渡せないと固辞。けっきょく映画会社のほうが折れ、スタローンはこの不朽の名作の主役を射止めたのだった。

なんと示唆に富んだエピソードだろう!