開高健と佐治敬三〜誰よりも高く跳ぼうとすれば土に額をこすりつけ、地をはう蟻をながめねばならない
【特別公開】北康利『佐治敬三と開高健 最強のふたり』
開高健(左)と佐治敬三(撮影:石山貴美子)

サントリーがまだ「寿屋」と呼ばれていた時代、貧困のどん底から開高健を拾い上げ、活躍の場を与えたのが、世界一のウイスキーをつくった男・佐治敬三であった。開高はコピーライターとしての才能を花開かせ、在職中に芥川賞を受賞する。開高は佐治を必要としたが、佐治もまた開高を必要とした。やがて二人は経営者と社員という枠を越えた友情で結ばれていく。

各メディアで話題沸騰!『佐治敬三と開高健 最強のふたり』(北康利・著)の序章を特別公開!



序 章
  

「補給基地を見つけたぞ!」

南ベトナム政府軍兵士のあいだから歓声があがった。

だがそれは、ベトコンゲリラのしかけた巧妙な罠だったのだ。

つぎの瞬間、湿った空気を切り裂いて、無数の銃弾が薄暗いジャングルの奥から襲いかかってきた。

枝が折れ、葉が散る。何人もの兵士たちが小さいうめき声をあげたかと思うと、糸の切れたあやつり人形のようにその場に崩折(くずお)れた。あふれだす鮮血を止めることができず、必死に傷口を押さえながら悲痛な声をあげる米兵の姿もある。

運よく最初の攻撃をまぬがれた者たちは、アリ塚や倒木など、少しでも銃弾を遮れそうなものの陰に身を隠した。反撃しようにも相手の姿が見えない。

そんな熱帯の森のなかに、真っ青になりながら震えている、なんとも場違いな日本人がいた。

作家の開高健(かいこう・たけし)である。

昭和40年(1965)2月14日のバレンタインデー、世界中に笑顔の広がるこの日、彼はおそらく、地球上でもっとも悲惨な目にあっていた日本人だった。

カメラマンの秋元啓一とともに取材のため南ベトナム政府軍に同行していた彼は、アメリカ軍事顧問団から支給された鉄兜(てつかぶと)をかぶり、サイゴン市内の中国人経営の店で買った迷彩服を着てはいるものの、銃などの武器をいっさい持っておらず、丸腰のまま逃げまどっていた。

「タ、タ、タ、タ……」

乾いた発射音が鳴りやまない。

発射音から察するに、ベトコンが使うソ連製のAK47自動小銃に違いなかったが、錯綜して聞こえてくるため、どこから撃ってきているか見当がつかない。

ベトコンは地下にトンネルを縦横に掘っていて、どこからでも顔を出す。今も自分たちの真下をベトコンが走り回っているかと思うと、恐怖で全身が冷たくなり、震えが止まらない。流れ落ちる汗がしきりに目に入ってしみるのは、暑さゆえではなかった。

身を隠している倒木に続けざまに銃弾が当たり、破片が飛び散る。頭にのせている鉄兜がこのときほど頼りなく感じられたことはなかった。地面に這いつくばい、ジャングルに降り積もった枯葉が口と鼻をふさいで窒息しそうになるほど頭を低くしていたが、銃弾が風を切る擦過音(さっかおん)がリンボーダンスのバーのように次第に下がってくる。

生きるための本能からだろう、少しでも頭を低くしなければと、手ではなく顔を左右に振りながら目の前の土を掘った。後で考えれば何とも滑稽な動作だが、身体が勝手にそう動いたのだ。

(これはあかん……)

彼はぎゅっと目をつぶり、死を覚悟した。